ムンクの奥行きのある世界への扉を開いてくれる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1263)】
母の92回目の誕生日を祝う会を、東京・新宿の「がんこ・新宿・山野愛子邸」で開き、一族の15人が集いました。大都会のど真ん中とは思えない静寂に包まれた庭に癒やされました。会の最中に、テレビ東京の「カンブリア宮殿」の撮影スタッフにインタヴューされるというハプニングがありました。因みに、本日の歩数は10,054でした。
閑話休題、私はエドヴァルド・ムンクという画家については、その作品「叫び」と「思春期」しか知らなかったが、『ムンクの世界――魂を叫ぶひと』(田中正之監修、平凡社)のおかげで、ムンクの奥行きのある世界に触れることができました。
驚いたことの第1は、「叫び」が誕生するまでに、実に多くの試行錯誤があったことです。
1893年の「叫び」に至るまでに、恐らく1891年の「手すりにもたれる男」、1892年の2枚の「絶望」、1893年の「嵐」、1893年のもう1枚の「叫び」が存在したのです。また、1892年の「カール・ヨハン通りの夕べ」の人々の顔は、「叫び」の男性の顔に通じるものがあります。
このうち、最初のタイトルは「夕暮れ時の不快な気分」で、後に「絶望」と名付けられた作品は、前面に大きく描かれたムンク自身と思われる山高帽を被った男性が橋の手すりから下を見詰める横顔が描かれています。私は、この作品に、有名な「叫び」よりも共感を覚えてしまいました。
第2は、ムンクの人生が決して平坦なものではなかったことです。
「幼くして母親を亡くし、姉も失うという死にとりつかれたかのような少年時代の記憶、心を病み(=統合失調症)精神病院で治療を受けたという事実、そして恋人に銃で撃たれそうになったという逸話などを聞くと、ムンクを尋常ならざる世界に生きる住民であったと思わずにはいられなくなる。『叫び』の漫画的ともいえる奇怪さは、実際、画家自身をも狂気にとりつかれた存在であったように思わせよう」。
第3は、「狂気の画家」と呼ばれることの多いムンクだが、これは多分にムンク自身のイメージ戦略によるもので、意外なことに彼は「理知の人」でもあったという興味深い指摘がなされていることです。
「彼の作品が心理的な側面を際立たせているとしても、激情をむき出しにしているわけではない。ムンクは、理知的な人でもあった。感情と知性とがみごとに撚り合わさったところに発現したのが、ムンクのイメージ世界なのである。そのことは、彼の作品群が、デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールの主張と響きあい、ムンクと同郷の劇作家ヘンリック・イプセンと重なり合う世界を描き出していることからもわかるだろう。彼らはみな、現代社会のなかで生きる人々の実存的な心理的葛藤への思索を深め、捉えようとしていた」。
「晩年のムンクは『狂気』の問題を意識的に捉え、自分を演出するために活用していた。ここから分かるのは、晩年のムンクがもっていた抜け目のなさであると同時に、『狂気の画家』というムンクのイメージが絶対的ではないということだ。むしろ『理性の画家』としてムンクを捉え直す可能性を、この事実は示唆しているのではないだろうか」。
自ら何よりも生きることを真剣に見詰め、そして、生きることとは何かを人々に伝えるための、新しくかつ力強い表現や作品展示の方法を探求し続けた画家、それがムンクだったのです。