江戸時代の読書会、すなわち会読の歴史を辿ることで見えてきたこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1320)】
東京・杉並の荻窪を巡る散歩会に参加しました。観泉寺で紅葉、黄葉を楽しみました、天沼弁天池公園では、紅葉とオギが鮮やかな対比を見せています。街角の宝永5(1708)年銘の庚申塔は、射し込んだ陽を受けて神々しい感じがします。左側の廻国供養塔には安永10(1781)年の銘があります。井口家の長屋門、井伏鱒二旧居、太宰治の下宿跡地を見学しました。大田黒公園のライトに照らし出された紅葉、黄葉は幻想的です。西郊ロッヂングは昭和の香りがします。因みに、本日の歩数は25,017でした。
閑話休題、『江戸の読書会――会読の思想史』(前田勉著、平凡社ライブラリー)は、江戸時代の読書会、すなわち会読の発展の歴史を丹念に辿ることによって、会読が何をもたらしたのかを考察しています。
江戸時代、儒学の学習のために始まった会読は、全国に広がり、蘭学、国学の塾でも採用されていきました。それは、身分制社会の中では極めて特異な、自由で平等な討論を許容し、対等な他者を受け容れ、競い合う場を生み出しました。そこで培われた経験と精神が、幕末維新とそれに続く明治期の揺籃となったのです。
荻生徂徠の会読について、こう記されています。「対等な朋友同士で、さまざまな意見をぶつけ合うことによって、自分の限界性を認識することもできるし、自己の『知見』を広げることもできる。徂徠の経学の継承者、太宰春台が、学問をするうえで、尊厳な『師』とともに、いつでも『講習討論』できる『友』が重要であることを説いているのも、この『知見』を広げることができるからである」。「自分自身で納得することの重要性である。徂徠は、疑いを持ち、自らで考え、『自身ニわれと合点』することを強調した。異論と接せる会読は、『合点』する前提となる疑いを抱く機会を与えてくれるのである。徂徠が(師が一方的に教える)講釈を批判したのも、この点にかかわっている」。
著者は、本書をこういう言葉で結んでいます。「明治以降の近代日本社会は立身出世主義のはびこる競争社会であり、現代もなおそこから逃れることはできない。だが、競争社会に息苦しさを感ずる現代人にとって、参加者が自由に語り合える読書会は、日常生活とは別次元の社交の場であることで、積極的な意味を持っている。江戸時代の会読がこの現代の読書会に蘇ることになれば、私にとって、これ以上の喜びはない」。
中学1年生の時、社会科の大森先生から読書会に誘われ、1年間かけて、福沢諭吉の『学問のすすめ』(岩波文庫)の原文を少しずつ読み進めていったことを、懐かしく思い出しました。