榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

長らく閑古鳥が鳴いていた講談界に、希望の新星が現れた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1347)】

【amazon 『講談入門』 カスタマーレビュー 2018年12月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(1347)

ヒヨドリ、ムクドリは寒さにめげず、元気です。因みに、本日の歩数は10,240でした。

閑話休題、落語に押され、長らく閑古鳥が鳴いていた講談界に明るい兆しが見えてきたといわれています。子供の頃、ラジオでよく講談を聴いていた私には嬉しいことです。その講談界復活の旗手ともいうべき若手講談師・神田松之丞の『講談入門』(神田松之丞著、長井好弘編・文、橘蓮二写真、河出書房新社)を手にしました。

落語と講談の違いは何かという問いに、松之丞はこう答えています。「落語は基本的にフィクションだが、講談はノンフィクションである、ただしノンフィクションでも脚色は自由ということだと考えています。一応史実とされている事象を、『過去にこういうことがありました』と読んでいく。・・・宝井琴調先生は、『講談はドキュメンタリーで落語はホームドラマ』という言い方をされていて、それが一番わかりやすいと思います。立川談志師匠は落語と講談の違いについて、『忠臣蔵の赤穂の浪士も最初は300人ぐらいいたのに、『家族のために』とかいって250人ぐらい逃げちゃった。そういう逃げちゃったやつを描いているのが落語で、最後まで殿様のためを思っている者を描いているのが講談の<赤穂義士伝>だ』というふうにおっしゃっていました。それは、どちらがいいとか悪いとかではなく、両方人間の姿なのですが、忠義の者を追っていくのか、逃げちゃったやつを追っていくのか、対象をとらえるカメラマンが違うのだと僕は考えています」。

松之丞の全持ちネタが解説されているが、例えば、私の好きな「赤垣源蔵徳利の別れ(一席物・赤穂義士伝)」、「曲垣と度々平(一席物・武芸物)」、「鉢の木 佐野源左衛門駆け付け(一席物・漫遊記)」は、このように解説されています。

「『<(赤穂)義士伝>は<別れ>がテーマだ。義士伝の中にはあらゆる別れのエッセンスがある』と神田愛山のマクラで聞いてから、松之丞はがぜん、『赤穂義士伝』が好きになったという。・・・『義士銘々伝』の中で、『赤垣源蔵徳利の別れ』は一、二を争う人気演目である。・・・マクラの中で、松之丞は『赤垣』を持ち出すことがある。『講談のウソ』について語るときだ。『赤垣には兄貴なんかいないし、酒飲みどころか、まったくの下戸で、名字も<赤埴(あかはに)>が本当なんです。そのうえ、赤垣が来た日に、雪は降っていない。つまり講談というのは、1パーセントの『本当』があれば、残りの99パーセントは脚色していいんだと。でも、そこに兄弟の情愛が描かれていれば、それは真実なのです』。これが、マクラで語られる松之丞の講談論だ。『講談はフィクションというか、その脚色の部分こそが命である』という持論を語ろうとすれば、『赤垣』を例に出すのが一番わかりやすいのだという」。

「三代将軍(徳川)家光の治世、曲垣(まがき)平九郎、向井蔵人、筑紫市兵衛という馬術の三名人を活写した人気講談『寛永三馬術』の中でも有名な場面。五代目宝井馬琴の堂々たる読みっぷりは、今も語り継がれている。いわば宝井のお家芸である『曲垣と度々平』を、松之丞は、五代目馬琴の愛弟子、宝井琴調に倣った」。ラジオで五代目馬琴の『寛永三馬術』を聴いている時は、いつも心が高鳴ったことを覚えています。

「謡曲『鉢木』に描かれた佐野源左衛門の物語。・・・『(<鉢の木>は)講談らしい講談です。歌舞伎役者の中村勘三郎さんが<勧進帳>とかを変えるやつの気がしれないって言ってたんですけど、<鉢の木>もその筆頭格です。だから僕も手をつけていません。変えられないんです』」。『鉢の木』は、私の大好きな演目で、いざ鎌倉と、源左衛門が古鎧に身を固め、痩せ馬に乗って駆け付ける場面は、何度聴いても涙が滲んできます。