ジャーナリスト・大谷昭宏のバックボーンは、いかにして鍛えられたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1407)】
ツバキの蕾は、まるで宝石のようです。チンチョウゲが淡桃色の花を咲かせています。あちこちで、ウメの花が芳香を漂わせています。因みに、本日の歩数は10,427でした。
閑話休題、ジャーナリスト・大谷昭宏の弱者に寄り添うコメントに共感を覚えるのは、私だけでしょうか。『事件記者という生き方』(大谷昭宏著、平凡社)によって、大谷のバックボーンがいかにして鍛えられてきたかが、よく分かりました。
「当時、31、2歳の私はまさにそんな(=仕事をやるうちに次の仕事に対する欲が出てきて、何時になっても家に帰りたがらない)記者の一人だった。新聞記者は書くだけでいいのか。ウイングを広げたゼネラルプレイヤーであってしかるべきではないのか。だが、そうなるためには当然、条件がある。まず記者としての取材力、筆力に一流のものを持っていなければならない。当たり前のことだが、要するにウイングを広げた記者になるということは、バッターでいうなら、盗塁も決めれば、ときにはホームスチールも敢行する、そういう打者になるということなのだ。そのためには、まず累に出る打力が必要だ。と同時に、守備も手堅く、常にレギュラーで使ってもらえる選手でなければならない。二軍でろくにランニングもせず、一軍から声がかからないと不貞腐れているような選手はハナから対象外なのだ。・・・そんなポジション争いを勝ち抜いてきた記者たちがグラウンド狭しと打って、走って、ホームに突入してくる。それが黒田(清)軍団だったのだ」。黒田清というのは、著者が我が師と仰いだ伝説的な新聞記者です。
「メディアの取材、報道も、警察、検察の捜査も、裁判所の審理も、信念を持って突き進まなければならない。怯んでいては真実の報道も凶悪犯の摘発も、巨悪を暴くこともできない。だが、誤報や虚報、あるいは冤罪事件の過程で、必ずや『これは間違った方向に進んでいるのではないか』と後戻りする機会があるはずだ。そうした、一歩引いて、相手の立場に立って考えてみるやさしさ。言い換えれば、濡れた心がどんなときにも欠かせないのではないか。それは決して信念を失くしたことでもなければ、勇気を失ったことでもない。むしろその逆である」。