「死の天使」と呼ばれたナチスの医師、ヨーゼフ・メンゲレの逃避行・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1421)】
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閑話休題、アウシュヴィッツ強制収容所で「死の天使」と呼ばれ、ユダヤ人から恐れられたナチス親衛隊大尉にして医師のヨーゼフ・メンゲレは、ナチス崩壊後、南米のアルゼンチンに逃亡します。イスラエル諜報特務庁(モサド)の厳しい追及をかいくぐり、ブラジルの海岸で67年の生涯を閉じるまで、まんまと逃げ切ったのです。
このメンゲレの逃亡生活をノンフィクション小説として描いたのが、『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』(オリヴィエ・ゲーズ著、高橋啓訳、東京創元社)です。ノンフィクション小説というのは、『冷血』で知られるトルーマン・カポーティが自身の小説に付けた名称だが、オリヴィエ・ゲーズがメンゲレの謎に満ちた足跡を辿るには、この方法しか考えられなかったのでしょう。
「バラックが建ち並び、ガス室と焼却棟があり、鉄道が敷かれ、彼が民族の技師として最良の歳月を過ごした街区、人肉と毛髪の焼ける臭いが立ち込め、監視塔と有刺鉄線に囲まれた禁域。長靴に手袋、まばゆい軍服に身をつつみ、制帽をわずかに傾げてかぶってオートバイに乗り、ときには自転車、ときには自動車に乗って、無表情な影たちのあいだを巡回する疲れ知らずの残忍なダンディ。彼と目を合わせ、言葉をかけることは禁止されていた。将校クラスの同僚からも恐れられていた。降車場でヨーロッパ全土から集められたユダヤ人を選別するときも、同僚は酔っているのに、彼だけは素面で、笑みを浮かべて『トスカ』の数節を口笛で吹いていた。人間的な感情にほだされることは皆無。憐憫は弱さだ。絶対権力者の鞭の一振りで、犠牲者たちの運命は封印されてしまい、左に振れば即、死、ガス室送り、右に振れば緩慢な死、強制労働をさせられるか、より寛大な世界である彼の研究室に送られ、『適切な人的材料』(小人、巨人、障害者、双生児)として、輸送列車が到着したその日から、食事が与えられることになる。それから注射、身体測定、採血、切断、殺害、解剖。そして、彼が自由に使える実験材料を集めた小児動物園、それは双生児出生の謎を解き明かし、超人を製造し、ドイツ人の生殖力を高め、いつの日か、スラブ人から奪った土地に農民兵士を住まわせ、アーリア人種を守るためのものだ。人種の純血の守り神にして、新たな人類を誕生させる錬金術師。戦争が終われば、華々しい大学教授としての道と勝利を収めた第三帝国の感謝と評価が彼を待ち受けている。大地に流された血、その狂った野心、彼の最高司令官、ハインリヒ・ヒムラーの壮大な計画。アウシュヴィッツ、1943年5月~1945年1月。グレゴール、またの名を死の天使、すなわちドクター・ヨーゼフ・メンゲレ」。
「1949年6月22日のこの日、ヘルムート・グレゴールはアルゼンチンという聖域にたどり着いた」。「地下の秘密の通路をたどり、グレゴールはついにブエノスアイレスの迷宮のなかに自分の道を見つけたのだ」。
「7月14日には、いよいよアドルフ・アイヒマンがリカルド・クレメントという偽名でブエノスアイレスに上陸する」。
ナチスの残党たちがアルゼンチンに流れ込んだ背景が記されています。「ドイツとイタリアが負ければ、アルゼンチンがこのあとを引き継ぎ、ムッソリーニとヒトラーが失敗したところをペロンがうまくやる。ソビエトとアメリカは遅かれ早かれ原爆合戦で滅びてしまうだろう。第三次世界大戦の勝者が地球の反対側で生き残ることになれば、そのときこそアルゼンチンの出番だ。冷戦が泥沼化していくあいだに、ペロンは抜け目のない屑拾いになり、ヨーロッパのごみ箱を漁って巨大なリサイクル事業を立ち上げる。そうすれば歴史の残滓を利用して歴史を支配することになるだろう。ペロンが自国の門戸を何千何万のナチス、ファシスト、協力者に開放すれば、有能な兵士、技術者、科学者、専門家、医師が入ってくる。アルゼンチンに戦争犯罪人を招き入れ、ダムを、ミサイルを造り、原子力発電所を建設し、この国を超大国に変貌させようというわけだ」。
「アイヒマンの名声を求めたがる傾向は、ここに来て以来ずっと目立たないように注意してきたグレゴールの癇に障った」。
「セラ・ネグラに移り住んで間もない1962年の6月1日、メンゲレはラムラ刑務所の中庭でアイヒマンの絞首刑が執行されたことを知った。彼は動転する。ロベルトのトランジスター・ラジオでこのニュースを耳にするなり、彼は自室に駆け込み、自分の絶望と恐怖を、ブエノスアイレスのぬくぬくとした暮らしを捨てて以来、ずっと彼につきまとい、拘束している不安をそこに押し込めた。アイヒマンがユダヤ人に処刑された!」。「自惚(うぬぼ)れアイヒの馬鹿め、傲慢の罰が当たったんだ!」。恐らくは油断からモサドに拉致され、無理やり法廷に引きずり出されたアイヒマンの弁明を読み、危機を敏感に察知し、パラグアイからブラジルへと逃げていく、強かなメンゲレの逃避行が臨場感豊かに描かれています。
長らく離れて暮らしてきた息子のロルフがブラジルまで訪ねてきて、「パパ、アウシュヴィッツでは何をしたんです?」と質問します。「ドイツ科学の一兵卒としての私の義務は、生物学から見た有機的共同体を守り、血を浄化し、異物を排除することにあった。毎日数千人単位で収容所に到着する囚人を分類、選別し、不適応者を除去すること。私は最大限の人命を救うためにできるだけ多くの労働者を選び出そうとした。双子たちには科学を進歩させるために命を提供してもらった。・・・われわれの総統の命令に従って、法律的にも精神的にも任務を遂行するのが私の義務だった。私には選びようがなかった。アウシュヴィッツを、ガス室を、焼却炉を作ったのは私ではない。私はたくさんある歯車のうちの一つでしかなかった。一部にやりすぎがあったとしても、その責任は私にはない」と、彼はのうのうと言ったというのです。
「(メンゲレは)広大な海のなかで、ブラジルの太陽に照らされ、ひっそりとあっけなく死んだ。人類の法廷に立つことも、その犠牲者の前に立つことも、自分の犯した数知れない罪を問われることもなく」。