榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

写真に関する書籍50冊のエッセンスが凝縮した一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1432)】

【amazon 『50冊で学ぶ写真表現入門』 カスタマーレビュー 2019年3月22日】 情熱的読書人間のないしょ話(1432)

神奈川・小田原の小田原城を見学しました。静岡の相模湾海上に浮かぶ初島を訪れました。ユリカモメ、ウミネコ、ウミウをカメラに収めました。オオシマザクラが白い花を咲かせています。大きなリュウゼツランが茂っています。因みに、本日の歩数は13,312でした。

閑話休題、『50冊で学ぶ写真表現入門』(西垣仁美・藤原成一著、日本カメラ社)には、写真に関する書籍50冊のエッセンスが凝縮しています。「これからみなさんと写真についての本をいっしょに読むことにいたしましょう。写真講義という型にはまった固苦しい講釈でなく、写真についてこれまで考えられ実践されてきた多くの蓄積のなかからピックアップし、遠く近くの先輩たちの話を聞こうという試みです。気楽なサロン風読書会です。・・・写真とはどういう表現か、写真をどう撮るか、写真をどう見、どう楽しみ、どう読解するか、写真表現はどう変化してきたか、写真は社会や現実にどう関わり、どう機能してきたか、など写真に関する基本のことを、理屈でなく、先輩たちの著作や作品からじかに聞きとろうと開いたサロンが、本書です」。

例えば、『大和路遍歴』(入江泰吉著、法蔵館)は、このように紹介されています。「大和路の写真といえば入江泰吉、入江泰吉といえば大和路の風物、というほどに入江は古都奈良と大和路と一体化した写真家です。東大寺の四季と共に生き、東大寺や春日山から奈良・平城京を見守り、斑鳩の里や西の京の塔のある風景を巡り、飛鳥京や大和三山をはじめ歴史の故地を訪ね、山の辺の路をたどり、みほとけに合掌する、そういう奈良の日常にあって、現代にあって、日常を超え、歴史と共にあることを三十数年にわたってつづけてきたのが入江です」。入江の写真には本当に癒やされます。

『鵜の目鷹の目』(赤瀬川原平著、日本カメラ社)では、写真の基本が記されています。「<ぼくは写真の基本というのは報道だと思っている。ここにこんなものがありましたよ、ということを人に知らせる手段、・・・基本はそういうリアリズムだろう>と言います(あとがき)。写真は自分の外にあるもの、対象をおもしろいと気づき、何かを発見したから、撮って、人に知らせることが第一義です。だからそういう素朴にして実直なリアリズムである写真に接するときも、まず実直に先入観なしに写っているものを見ることが基本です。だから<ぼくがここで写真を見ていく態度としては、そういう写真、それを見る、という原点からできるだけ外れないようにした、写真作品として見るというよりは、そこに写されているものだけを見て書くようにした>と自分の見方を確認します。写真の基本が報道であるなら、写されたものを正確に見ることは基本態度です。小説を作者から自立したものとして読むのが当然なように、写真を写真家から自立したもの、報道として、写されたものだけを見る、見ることの基本スタンスです」。毎日、数百枚の写真を撮る私の心理が的確に表現されています。

『写真論――その社会的効用』(ピエール・ブルデュー監修、山縣煕・山縣直子訳、法政大学出版局)は、人はなぜ写真を撮り、眺め、保存するという写真文化活動をするのかを、精度の高い広範な実地調査から分析しています。「<時間に対する保護、他者との意思疎通と感情の表現、自己自身の実在化、社会的威信、娯楽あるいは気晴らし>、写真活動はこの5つの点で生活空間に充足をもたらしてくれるのです。写真は記憶の欠落を補います。過ぎ去った瞬間を共に甦らせ、関心や感情を他人と共有したりします。表現された事象をわがものとし、撮る者は自己満足を得ます。写真の技術的腕前を顕示したりして自己実現にもプラスします。個人的な出来事の証言によって他者や社会に認められもします。表現あそびというリクリエーション効用もあります。アマチュアの写真を撮る動機と写真の機能、効用はほぼこれに尽くされており、経済的活動性や社会参加欲、承認欲をこれらに加えれば、プロにもそっくり当てはまります」。

デジカメで写真を撮りながら、一日10,000歩以上歩くことを目標としている私にとって、いろいろと勉強になる一冊でした。