榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

現生人類、そして日本人の成立を考えるのに最適な最新版・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1507)】

【amazon 『日本人になった祖先たち(新版)』 カスタマーレビュー 2019年6月4日】 情熱的読書人間のないしょ話(1507)

理由は分からないが、2羽のヒバリが争っている場面を目撃しました。さまざまな色合いのタチアオイを写していたら、何と、葉の上に、会いたいと願っていたラミーカミキリが2匹もいるではありませんか。我が家の庭の片隅で、ハナグルマという品種のツツジが遅れ馳せながら咲き始めました。アジサイの青みが増してきました。因みに、本日の歩数は10.705でした。

閑話休題、『日本人になった祖先たち――DNAが解明する多元的構造(新版』(篠田謙一著、NHKブックス)の主要論点は、3つにまとめることができます。

第1は、ネアンデルタール人絶滅説に対する反論です。「2010年、この(次世代シークエンサの)マシンを使った研究で、クロアチアのビンデジャ洞窟から発掘された3万8000年前の3体のネアンデルタール人女性人骨から採取した、40億塩基分のDNA配列の解読が行われました。その結果、サハラ以南のアフリカ人を覗く、アジア人とヨーロッパ人にはおよそ2.5%程度の割合で、ネアンデルタール人DNAが混入していることが明らかとなったのです。そこから、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、『出アフリカ』を成し遂げた後の『初期拡散』の過程で、ネアンデルタール人との間に交雑があったというシナリオが提示されることになりました。私たちにDNAを残したネアンデルタール人は絶滅したわけではないということになり、21世紀になって定説となりつつあった新人のアフリカ起源説は一部修正を余儀なくされることになりました」。

第2は、デニソワ人と私たち現生人類との関係です。「同じ2010年には、古代DNAの分析によって、もうひとつの特筆すべき発見がありました。ロシアのアルタイ地方にあるデニソワ洞窟の、5万~3万年前の地層から出土した臼歯と手の指の骨から抽出したDNAが、ネアンデルタール人とも現生人類とも異なる未知の人類のものであるという報告がなされたのです。デニソワ人と呼ばれるようになったこの未知の人類は、形態的な特徴が不明なまま、DNAの証拠だけで新種とされた最初の人類となりました。このデニソワ人も現代人にDNAを残していることが明らかになっています」。

第3は、定説となっている「二重構造説」への異議申し立てです。「現在では埴原和郎によって提唱された、旧石器時代人につながる東南アジア系の縄文人が居住していた日本列島に、東北アジア系の弥生人が流入して徐々に混血して現在に至っているという『二重構造説』が、主流の学説となっています。・・・二重構造説は、均一な縄文人社会が、水田稲作と金属器の加工技術をもった大陸由来の集団を受け入れたことによって、本土日本(南西諸島と北海道を除いた本州、四国、九州)を中心とした中央と、南西諸島・北海道という周辺に分化していくというシナリオです。先端技術を受け入れた中央と、その影響が波及しなかった周辺という見方をしているのですが、果たしてこのような視点で、南北3000キロを超え、寒帯から亜熱帯の気候を含む日本列島・南西諸島の集団の成立を正確に説明できるのか、という問題があります」。

「日本列島に最初にホモ・サピエンスが到達したのは、考古学的な証拠からおよそ4万年前だと考えられています」。

「弥生時代の開始期が、従来考えられていた紀元前5世紀から、紀元前10世紀までさかのぼる可能性が示されました。弥生時代の開始期が500年ほど古くなったのです。弥生時代の始まりは、現在では『日本で水田稲作が始まった時期』と定義されています」。

「東南アジアから初期拡散によって北上した集団の中で沿岸地域に居住した集団が縄文人の母体になった、と考えると説明がつきそうです。初期拡散で東アジアの沿岸線に沿って北上したグループが、台湾付近からカムチャッカ半島に至るまでの広い沿岸地域に定着し、その中から日本列島に進出する集団が現れたのでしょう」。

「人類学者はこれまで大陸からの渡来を弥生時代に限定して考える傾向がありましたが、考古学の分野では古墳時代にも渡来があったことを予想しています。これまでの人類学の研究では資料的な制約もあって、弥生時代以降の大陸からの渡来について、その実体を知ることができませんでした。しかし、核ゲノムの解析で弥生以降の時代の渡来の事実が予想されたことで、今後の現代日本人の形成のシナリオは、弥生~古墳時代における大陸からの集団の影響を考慮する必要があることがわかりました。単純な二重構造は、本土日本でも成り立たないのです。また、そう仮定すると、現代日本人につながる集団が完成するのは、次の古墳時代ということになります」。

「(「本土日本人」は)自然人類学の分野では普通に使われる用語で、アイヌと沖縄の人たちを除いた、主として本州、四国、九州に住む日本人を指しています。アイヌの人たちはみずからが独自の民族であることを認識していますし、沖縄も琉球王朝に代表されるように、本土の日本人とは異なった歴史を持っています。また形質人類学や民俗学、文化人類学の研究も彼らを本土の日本人と区別するさまざまな証拠を持っています。ですから、日本は複数の異なる集団から構成される多民族集合体であるということになります。民族という概念は自然人類学のものではありませんし、まして民族はDNAで区別できるものではありませんから、日本の現状をDNA研究から表わすのに『多民族集団』などという言葉は使いたくはないのですが、他に適当な言葉がないのでここではそのように表現することにしました」。

「弥生時代以降における大陸からの渡来民は、縄文時代に蓄積したDNAのプールに特に大きな影響を与えました。本土日本の集団は、この弥生時代以降に渡来した集団と在来の集団の混血によって成立していったのです。ある程度地理的に隔離された北海道と沖縄では、本土の日本とは異なる集団の歴史があります。それは、両者が本土日本とは異なるDNAの組成を持っていることからも明らかです。日本列島における集団の成立の歴史は、重層的で複雑なものであることを、私たちの持つDNAは教えています」。

現生人類、そして日本人の成立を考えるとき、最新情報・知識に基づいている本書は、最適な一冊と言えるでしょう。