「女脳」と「男脳」は違うという説は、科学的に正しいのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1508)】
千葉・流山の「森の美術館」は緑に囲まれて、ひっそりと佇んでいます。稲垣考二、木原和敏、荻原克哉、智内兄助の作品が展示中です。因みに、本日の歩数は10,752でした。
閑話休題、私は小学生時代から、勉強ができて、リーダーシップのある女の子を何人も見てきたため、女性は能力的に男性に劣るという考え方には違和感を覚えてきました。今回、『科学の女性差別とたたかう――脳科学から人類の進化史まで』(アンジェラ・サイニー著、東郷えりか訳、作品社)を読んで、私は間違っていなかったと確認することができました。
女性は感情的で論理的に考えられない、女性は地図が読めない、これらは「女脳」は「男脳」とは違うからだ――といった既成概念に対して、著者は神経科学、心理学、医学、人類学、進化生物学などを駆使し、これらは偏見に過ぎないと説得力十分な反論を展開しています。
「性差は今日、科学的研究ではきわめて注目度の高いテーマだ。2013年の『ニューヨークタイムズ』のある記事は、今世紀に入ってから科学雑誌で性差に関する論文が3万本発表されたとしている。言語であれ、人間関係であれ、あるいは推論の仕方や育児、物理的・精神的能力などの分野でも、男女間の解剖学的な研究に言及されないことがない。発表されたこれらの論文は、男女の差は大きいという神話を裏付けているようだ。本書では、これらの研究の一端を解き明かし、その背後にいる人びとにインタビューをする。そうすることで私たちの誰もが疑問をいだくべき一連の研究が明らかになった。一部の研究者は、女性は男性に比べて平均して数学や空間推論(空間認識)、あるいは――車やコンピューターなどの――システムの仕組みを理解するのに必要なことはなんであれ劣っており、それは女性の脳が構造的に男性の脳とは異なるからなのだと主張する」。
「今日、性差に関する数々の疑わしい研究の猛攻撃から離れてみれば、私たちには女性の脳と体に関するまったく新しい考え方が見つかる。たとえば、性差に関する新しい理論は、男女の脳に見つかるわずかな差異は、人間はそれぞれみな独特であるという事実の統計上の産物に過ぎないことを意味する。何十年にもわたって子供たちを厳密にテストした結果、男女間には生理学的な違いはほとんどないことが立証され、違いとして見られるものは生物学によってではなく、文化によって大きく影響されていることが判明している。一部の人が主張してきたのとは裏腹に、進化の歴史の研究からは、男性優位と家父長制が生物学的に人間社会に生来具わったものではなく、かつて人類は平等な種であったことが示されている。女性は男性よりも浮気をしないという古くからの神話ですら、お蔵入りを余儀なくされている。ここでもまた、ヒトの生物学よりも社会のほうが、私たちの行動においてより大きな役割を担っているのだ」。
「本書は、女であることの意味についての伝統的な考えに異議を唱える、充分な証拠にもとづく慎重な研究だ。ここに描かれるのは、か弱く、従属的な人の話ではない。女性は科学に秀でる能力が足りないわけでもなければ、美しくしとやかなど、男性と区別するために使われてきた恩着せがましい装飾語で表わされるべきでもない。女性は誰にも劣らず強く、戦略的で、賢いのである。これはジェンダー(社会的性差)をめぐる争いで男と女を引き離すものではなく、むしろ男女平等であることの重要性を主張する説得力のある科学的研究だ。科学は私たちをより密接に結び付けるのである」。
著者の数々の研究のうち、女性は男性よりも浮気をしないという説に対する反論に注目してみましょう。「女性は選り好みはするが、男性より貞淑なわけではない」というのが、著者の結論です。
1978年にフロリダ州立大学の心理学教授であるラッセル・クラークとイレイン・ハットフィールドによって実施された実験の「結果は歴然としていた。男女どちらも見知らぬ人とのデートに同意する確率は同じくらい高かったが、女性は誰一人として一緒に寝ようとはしなかった。一方、男性の4分の3は、知らない女性とのセックスに意欲的だった。心理学者たちが1982年に実験を繰り返すと、結果はほぼ同じだった。・・・男は生まれながらにして一夫多妻の関係を好み、(一人の女性と)長期の関係に縛られるときは、ただ自然に逆らっている。一方、女性は一夫一婦の関係を好み、つねに完璧なパートナーを求める、というものだ。これは男と女が根本的に異なる生き物であるという事実に行き着くのだ、と言う生物学者もいる。両者ははてしない進化の闘争にはまり込んでいるのだ。男は女であれば誰でも見境なく追いかけ、できる限り多くの子供の父親となる可能性を高めようとする。一方、女は子孫を残すうえで最上の父親を念入りに探すあいだ、望ましくない男の目に留まらないように試みるというものだ。チャールズ・ダーウィン自身が、1871年に有名な『人間の由来、および性に関連した選択』を著した際に、この考察を科学史に刻んだのである」。
ところが、2013年にドイツのヨハネス・グーテンベルク大学の心理学者、アンドレアス・バラノヴスキーとハイコ・へヒトが行った同様の実験は、驚くべき結果となったのです。「研究に参加した男性は全員がデートに行くことに同意し、写真のなかの少なくとも一人の女性とはセックスすることを承諾した。かたや女性では、デートに同意した割合は97パーセントで、最初の実験とは異なり、『ほぼすべての女性がセックスに同意した』と、バラノヴスキーは言う。これは、脅威のない環境であれば性差は有意に少ない証拠だと、彼らは論文に書いた。フロリダの実験で女性を思いとどまらせていたのは生物学ではなく、別の理由であったかもしれない。それはまず間違いなく、暴行されることへの恐怖や(男女で異なる)道徳の二重基準など、社会的、文化的な理由だろう。だが、研究所を舞台とした場合でもバラノヴスキーとへヒトが確実に気づいた一つの性差は、女性は提示された写真のなかから選ぶ相手の数が少ない傾向にあったことだ。ブルック・スケルザがナミビアのヒンバ族で知ったように、女性は男性よりも選り好みはするが、より貞淑なわけではないのである」。
女性にも男性にも読んでもらいたい一冊です。