榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

推理小説なのに、刑事たちの使命感と、夫婦のあり方を考えさせる作品・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1527)】

【amazon 『慈雨』 カスタマーレビュー 2019年6月24日】 情熱的読書人間のないしょ話(1527)

我が家の周辺の地域には、フクロウが棲息しているが、出会うことは滅多にありません。その代わり、オブジェをよく目にします。

閑話休題、『慈雨(じう』(柚月裕子著、集英社文庫)を読みながら、脇で好きなパッチワークに熱心に取り組んでいる女房に気づかれないように、何度も涙をそっと拭いました。

群馬県警の刑事を定年退職した神場智則は、妻の香代子と共に、四国の歩き遍路の旅に出ます。旅先で知った今回、発生した少女誘拐殺人事件が、16年前に自分が担当した少女誘拐殺人事件に酷似していることに気づきます。16年前の事件の犯人として服役中の八重樫一雄は冤罪だったのではないか。神場の当時の直属の上司で現在は県警捜査一課長を務めている鷲尾訓と、神場の元部下の刑事・緒方圭祐と、神場の3人による、上層部には内密の捜査が始まります。

本書は、一見、地味な推理小説という装いをまといながら、刑事たちの使命感と、夫婦のあり方を考えさせる人間ドラマ足り得ている稀有な作品と言えるでしょう。柚月裕子の作品を手にしたのはこれが初めてだが、その実力に脱帽です。

「巡礼の旅は、自分が関わった事件の、被害者の弔いのためにはじめたものだ。信心があろうがながろうが、途中で旅をやめてしまっては、被害者たちの魂に顔向けできない」。

「担当捜査員とはいえ他人の自分がこれだけ辛いのだから、遺族は、我が子の命を無残に奪われた両親の苦しみは、いかばかりだろう。そう考えると、犯人への憎しみは募り、二度と同じような事件が起きてはならないと強く思う。・・・神場が真に恐れているのは、八重樫が本ボシでなかったとしたら、幼女を手にかける鬼畜が野放しにされている、ということだ。その鬼畜が再び獲物に牙を剥いたとき、新たな悲劇が起きる」。

「神場は根っからの刑事だ。私情を胸の奥深くに呑み込み、自分が犯したかもしれない過ちを認め、これから起きるかもしれない犯罪を阻止するために、すべてを投げ出す覚悟なのだ。緒方は瞼を閉じた。神場の、厳ついが親しみを覚える顔が瞼の裏に浮かぶ。・・・自分が尊敬してやまない刑事が、人生をかけて、過去に立ち向かおうとしている。目を背けることは、神場の信頼を裏切ることにほかならない」。

「神場は香代子を見つめた。目じりに皺が目立ち、頬にはシミがいくつか浮いている。歳を重ねた香代子の顔を見て、いかに長い時間を共に過ごしてきたかを実感する」。

「香代子が、ゆっくりと坂を登ってくる。地面を一歩一歩踏みしめるように歩いてくる姿に、神場はふと、胸がいっぱいになった。こうして香代子は、ずっと自分についてきてくれたのだ。人生という名の坂を、つかず離れず、自分のあとをずっと歩いてきてくれたのだ。そう考えると、香代子を愛おしく感じると同時に、ひどく不憫に思えた。・・・『無理しなくていいんだぞ。俺と一緒にいても苦労するだけだ』。香代子は、ふふっと、小さく笑みを零した。『また、その話ですか。私の答えはもう伝えました。気持ちは変わりません』」。

2カ月後、神場夫妻が遍路の最終目的地の結願寺となる八十八番目の札所に辿り着こうという時、憎むべき少女誘拐殺人事件の全貌が明らかになります。

「駐在時代の、懐かしい記憶が蘇る。金も地位もなく、ただ必死に、警官であろうとした自分がいた。そして、隣にはいつも香代子がいた。すべてを失ったとしても、あの頃に戻るだけなのだ。香代子は赤い目を潤ませ、ふふ、と笑った。『私、前にあなたに、根っからの刑事なのね、って言ったことがあったでしょう。私は根っからの、刑事の妻なのよ』」。