文系人間と理系人間がタッグを組めば、画期的なイノベーションを生み出すことができる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1694)】
東京・新宿の明治神宮外苑の黄葉を楽しみました。新宿と渋谷に跨る、完成したばかりの国立競技場が夕陽に輝いています。因みに、本日の歩数は11,497でした。
閑話休題、『FUZZY-TECHIE(ファジー・テッキー)――イノベーションを生み出す最強タッグ』(スコット・ハートリー著、鈴木立哉訳、東洋館出版社)は、文系人間と理系人間がタッグを組むことで、画期的なイノベーションを生み出すことができると強調しています。本書には、文系と理系の融合が、誰もがワクワクする新製品や新サービスを世の中に次々と提供している実例が満載です。
「スタンフォード大学では人文科学や社会科学を学ぶ学生は『文系(ファジー)』、工学や自然科学を学ぶ学生は『理系(テッキー)』と呼ばれている」。
「理系人間は、(リベラルアーツ<基礎教養>教育を受け、基礎的な教養を身に付けた)文系人間が興味を示すようなことにはほとんど見向きもしない『オタク』集団として一緒くたに見られがちだ。しかし、現在のテクノロジー時代にはリベラルアーツの価値を過小評価するのが間違いであるのと同様、この決めつけは正しくない。実際は、理系人間は文系と理系の分断をまたぐ多くの協力体制を牽引してきた。実に効果的に橋渡し役を果たせる存在だ」。
「文系人間と理系人間が組むことが、最も世界を変えられる、最も成功するイノベーションを生み出す公式だからだ。取り組むべき多くの難問を最も効果的に解決しながら、最も人間的な形で我々の生活をより良くしてくれる、そういうイノベーションを生み出せる可能性が高いからだ」。テクノロジーの将来は偉大だが、それと同等にリベラルアーツが必要なのだ、文系人間と理系人間が手に手を取って人類共通の目標を追求していくためには――というのです。
「今後人類がますますテクノロジーの進んだ未来へと歩みを進めるのであれば、教育システムの目標を文系人間と理系人間との溝を埋めていくことに置くべきだろう。子どもたちの最も初期の学習経験から大学、そして大学院への研究まで、社会は文系と理系の二本柱で成り立っているという前提に立脚しなければならないのだ」。この実例として、STEAM教育が挙げられています。STEAMとは、理科系科目(STEM=科学、技術、工学、数学)に芸術とデザイン(A)を混合した教育で、現在着実に注目を集めつつあります。最早、「STEM教育vsリベラルアーツ教育」という誤った二分法で争うべき時代は終わったというのです。
深層学習(機械学習)は真の知能になれるのでしょうか? この興味深いテーマが、ディープマインド社(現在はグーグルの子会社)によって開発され、世界最強のプロ囲碁棋士たちを次々と撃破した「アルファ碁」の事例を引いて、考察されています。「機械(マシン)は直感で知ることも、創造することも、感じることもできない。人間の能力全体については、AIはまだ真似することさえできない」として、真の汎用人工知能の実現には、まだ数十年はかかるだろうと結論づけています。