榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

グローバル企業が幹部候補を美術系大学院に送り込む理由とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2335)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年9月8日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2335)

あちこちで、キノコを見かけます。因みに、本日の歩数は11,183でした。

閑話休題、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?――経営における「アート」と「サイエンス」』(山口周著、光文社新書)は、名だたるグローバル企業が、各社の将来を担うであろうと期待されている幹部候補を世界的に高名な美術系大学院におけるエグゼクティブ・トレーニングに送り込んでいるという実態から、記述を始めています。

「『仕事が忙しくって美術館なんかに行っている暇なんかないよ』と嘯く日本のビジネスパーソンからすれば、グローバル企業の幹部候補生が大挙して美術系大学院でトレーニングを受け手いるという風景は奇異に思われるかもしれません。しかし、こういった傾向はすでに10年ほど前から顕在化しつつありました」。

「こういったトレンドを大きく括れば『グローバル企業の幹部候補、つまり世界で最も難易度の高い問題の解決を担うことを期待されている人々は、これまでの論理的・理性的スキルに加えて、直感的・感性的スキルの獲得を期待され、またその期待に応えるように、各地の先鋭的教育機関もプログラムの内容を進化させている』ということになります」。

「彼らは極めて功利的な目的のために『美意識』を鍛えている。なぜなら、これまでのような『分析』『論理』『理性』に軸足をおいた経営、いわば『サイエンス重視の意思決定』では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです」。

では、そのように考える具体的な理由はなんなのでしょうか。著者は、その回答を3つにまとめています。
①論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある。
②世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある。
③システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している。

「ビジネスパーソンであれば自分が関わるプロジェクトを、アーティストとしての自分の作品だと考えてみる。あるいは経営者であれば自分の会社を、アーティストとしての自分の作品だと考えてみる。そのような態度で仕事に接するとき、私たちは全員が社会彫刻に集合的に参画するアーティストということになり、であればアーティストとして相応しいだけの美意識を身につける必要があるということになります」。

説得力のある具体例が示されています。

「アップルの中核的な強みはイノベーションなのでしょうか? いや、私はそうは思いません。このように指摘する理由は実にシンプルで、アップルがイノベーションによって生み出した製品の数々は、あっという間にコピーされてしまったからです。もしアップルの強みがイノベーションにあるのだとすれば、コピーされた後にも競争力を維持し続けている理由を説明できません。じゃあ、なんなのか? ということになるわけですが、私は、アップルという会社の持つ本質的な強みは、ブランドに付随するストーリーと世界観にあると考えています。だからこそ、機能も外観も似たり寄ったりの製品が世に溢れるようになった現在にあってもなお、その競争力を失っていない。なぜなら、外観もテクノロジーも簡単にコピーすることが可能ですが、世界観とストーリーは決してコピーすることができないからです」。

「マツダはこれまでの自動車開発における基本的なデザイン文法から乖離し、極めて挑戦的な『日本的美意識の盛り込み』という目標を掲げています。このような大胆で、言ってみれば独善的な高みを目指すために、マツダでは顧客の声を直接的にデザインに反映させることはしない、と前田氏は言います。マツダが狙っているのは『顧客に好まれるデザイン』ではなく、『顧客を魅了するデザイン』だと言ってもいいでしょう。こう言えば柔らかく響くかもしれませんが、要するに『上から目線』だということです。ここには、MBAで習うような従来型のマーケティングにおいて重視される、顧客のニーズや好みを探り、それにおもねっていくという、卑屈な思考は放棄されています。これはまた、昨今様々な企業で検討・実践されているデザイン思考のアプローチの真逆とも言える取り組みです。・・・両者は目指すゴールが異なっているんですね。デザイン思考が目指すのは基本的に『問題の解決』です。・・・従って、ゴールは『問題が解決されること』であって、そこに感動があるかどうかは問われない。しかし、マツダが目指しているゴールは異なります。彼らがこのユニークなアプローチの末に追求しているゴールは『感動の提供』だということです」。

「『アート』と『サイエンス』が、個人の中で両立する場合、その個人の知的パフォーマンスもまた向上する、という驚くべき研究成果について紹介してみたいと思います。・・・この研究結果は、私たちが一般に考えるほど、『サイエンス』と『アート』というものは対照的な営みではなく、個人の中にあっても両者は相互に影響を与え合い、高い水準の知的活動を可能にしているのかもしれないという示唆を与えます。・・・ここでまず共有しておきたいのは、芸術的な素養としての『美意識』を鍛えられている人は、科学的な領域でも高い知的パフォーマンスを上げているということです」。

「『偏差値は高いけど美意識は低い』という人に共通しているのが、『文學を読んでいない』という点であることは見過ごしてはいけない何かを示唆しているように思います。古代ギリシアの時代以来、人間にとって、何が『真・善・美』なのか、ということを純粋に追求してきたのは、宗教および近世までの哲学でした。そして、文学というのは同じ問いを物語の体裁をとって考察してきたと考えることができます」。

一読の価値ある一冊です。