千利休が目指した一期一会の茶会とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1705)】
あそこに見慣れない鳥が、と撮影助手の女房がそっと指さす2m先のシロハラの雄を、バッチリ撮影することができました。カイツブリ、コガモの雄・雌、キンクロハジロの雌、ヒドリガモの雄、マガモの雄、カルガモ、オナガガモの雄、雌、オオバン、カワウ、コサギ、ダイサギをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は14,844でした。
閑話休題、『日本人のこころの言葉 千利休』(熊倉功夫著、創元社)のおかげで、千利休の真意に触れることができました。
<夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように、炭は湯のわくように、茶は服のよきように、これにて秘事はすみ候>。「夏はいかにも涼しいように、冬はいかにも暖かなるように。炭は湯のわくように、茶は飲みかげんがよいように。これが茶の湯の秘事のすべてです」。茶の湯の極秘を尋ねられた利休は、このように答えたそうです。
<常の茶の湯なりとも、路地へはいるから立つまで、一期に一度の参会のように、亭主を執して成すべきとなり>。「ふだんの茶会であっても、露地に入ったところから退出するまで、一生に一度の茶会にきたというような気持ちで、亭主のふるまいに深く心をそそいで、畏れを感じるほどの緊張感をもつべきです」。一生に一度の出会いのつもりで茶会に臨むべきだというのです。
<露地の掃除は、朝の客ならば宵にはかせ、昼ならば朝、その後はおち葉のつもるもそのまま掃かぬが巧者なり>。「露地の掃除は、朝の茶会であれば前夜に掃かせ、昼会なら朝、その後は落葉の積もるままにして掃かないのが茶の湯上手です」。掃除はやり過ぎず、自然の風情を生かせと諭しているのです。
<くぐりにて出入りを侘びて面白しとて、小座シキをくぐりに易(=宗易=利休)仕始めるなり>。「くぐり口を出入りする姿はわびていて面白いといって、利休は茶室ににじり口を付けることにしました」。茶室のにじり口は、利休が考案したものだったのです。「世俗のつきあいをそのままもちこんではいけません。茶室の中は皆、平等です。世俗の上下関係が貧富の差と関係ない清らかな世界です。そのために身をきよめ(手水を使い)、世俗を捨てた清貧の人だけが入れる狭き門がにじり口なのです。茶室の中は緊張感にあふれています。人びとは一期一会の心をもって茶にのぞむ。そんな気分が、にじり口をくぐることで醸成される。ここに利休の真意があったのです」。
「(若き日の)利休は茶会で釣瓶の水指(茶をたてるときに使う水を用意しておくための道具)と珠光茶碗を使いました。釣瓶は、師匠の武野紹鷗が最初に使ったもので、ただ単に井戸端で日常に井戸から水を汲みあげるために白木の板で作ったものです。つまり日常品です。釣瓶の、水にぬれた真新しい白木の美しさに注目したのが紹鷗でした。利休も、白木の清らかさの中に『わび』を感じて使ったのでしょう。珠光茶碗というのは、珠光青磁ともいって中国から渡来した唐物です。ところが正規の窯で焼かれた青磁のように美しい青色ではなくて、民衆の粗末な窯で焼かれたもので、青くなる前の黄味がかった青味しか出ていません。つまり不良品です。しかし、その不足しているところに注目したのが、わび茶の祖といわれる珠光です。・・・利休が珠光茶碗を若くして使っていることは、利休が、自分の茶の原点として珠光を考えていたことの証左ともいえましょう」。
著者は、利休の創造性に注目しています。「利休は茶の湯に新しい創造力を発揮しました。ことに茶道具においては従来の常識を破る試みがなされます。利休以前の茶道具は、すでにつくられたさまざまな器物のなかから茶の湯にふさわしいデザインと機能をもつ道具が運ばれ、取り込まれてきたものです。つまり、すでにある道具を茶道具として『見立て』ることが茶道具誕生の経過でした。ところが利休がしたことは、茶の湯のための道具をはじめからつくる茶道具創造の仕事でした。見立てから創造へという大きな展開が、利休によってはじめられたのです。その仕事の一つが楽(らく)茶碗です。長次郎という、おそらく瓦焼きが本業であったと想像される焼物師と利休によって、まったく新しい茶碗が生みだされます。まず第一にその形。口辺が外に向かってひろがる従来の椀形から、口が内にかかえこむような半筒形に変化しました。また釉薬は赤と黒の2種類に限られます。ロクロを使わず全部手造りで整型します。なんの造作もなく、なんの意匠もなく、平々坦々とした姿のなかに茶の湯をこめていこうという利休の意欲が長次郎の表現力によって結実したのが楽茶碗であったといえましょう」。
茶の湯の世界の奥深さが、緊張感を孕んで伝わってくる一冊です。