榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

源頼政が、源頼朝に代わり、源氏の棟梁として歴史を動かした可能性・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1715)】

【amazon 『鎌倉幕府の転換点』 カスタマーレビュー 2019年12月26日】 情熱的読書人間のないしょ話(1715)

我が家の庭の餌台に、毎日、メジロ、シジュウカラ、ヒヨドリがやって来ます。千葉・流山の流山おおたかの森駅前広場に仮設のアイス・スケーティング・リンクが設置されています。因みに、本日の歩数は10,529でした。

閑話休題、『鎌倉幕府の転換点――<吾妻鏡>を読みなおす』(永井晋著、吉川弘文館)は、『吾妻鏡』を読み直すことによって、鎌倉幕府の真実を炙り出そうという意欲的な試みです。

「ポスト頼朝を勝ち残るのは誰か」、「北条時政の栄光と没落」、「源氏はなぜ断絶したのか」、「北条政子の時代が終わるとき」といった章も面白いのだが、とりわけ興味深いのは、「可能性としての源頼朝」という指摘です。

「『吾妻鏡』が以仁王挙兵から記述を始めるのは、源頼朝が以仁王の遺志を受け継いで戦いを続け、ついに平氏を滅ぼして鎌倉幕府を開いたという正統性を主張するためである。源頼政は、平氏全盛の都にあっていつの日にか積年の怨みを晴らそうと思いながらも、それを表に出さずに宮仕えを続けた源氏の遺老とイメージづけられている。頼政は摂津源氏の嫡流でありながら自分の名前では軍勢が集まらないことをよく知っていたため、後白河法皇の皇子以仁王の名で平氏追討の軍勢を集めようとしたというのである。しかし、以仁王や源頼政が『吾妻鏡』の伝えるように考えていたかというと、それは否である。以仁王が出家せずに俗体のままでいたことや、天武天皇が大友皇子を討った672年の壬申の乱になぞらえて諸国の源氏に挙兵を呼びかけたことは、皇位継承に対する強い自己主張であり、以仁王は頼政に担がれて満足するような器量ではなかった、以仁王は、皇位継承の闘いのなかで源頼政を軍事行動の中心人物にすえたのである、そのことを明確にせずして、以仁王挙兵は明確にならない。この書き出しは、以仁王と頼政を矮小化し、以仁王の遺志を継いで鎌倉幕府を開いた頼朝こそが正統な後継者であるという、鎌倉幕府の自己主張である」。

保元の乱、平治の乱を通じて,「頼政は、美福門院・八条院が支持した皇統を守護する立場を一貫してとることで、源氏の棟梁としての地位を上昇させていった」。

平治の乱後、「伊豆国に流された頼朝が頼政の遺産を継承して歴史の檜舞台に登場した」のです。

著者は、頼政に注目し、歴史の歯車がほんの少し違う動きを見せていたら、頼政が、幾度となく虎口を運よく脱した頼朝に代わる源氏の棟梁として、歴史を動かした可能性を示しているのです。