榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

紀元前77年に、楼蘭という国名が地上から消えたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1806)】

【amazon 『楼蘭王国――ロプ・ノール湖畔の四千年』 カスタマーレビュー 2020年3月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(1806)

千葉・柏の「あけぼの山農業公園」では、ソメイヨシノが見頃です。白い花が見事なサクラが気になったので、公園を管理中の人に尋ねたところ、オオシマザクラとの回答が得られました。因みに、本日の歩数は10,562でした。

閑話休題、『楼蘭王国――ロプ・ノール湖畔の四千年』(赤松明彦著、中公新書)では、ロプ・ノール湖畔に存在した楼蘭王国を巡るいくつかの論点が取り上げられているが、私にとって、とりわけ興味深いのは、紀元前2世紀から50年余り、歴史上にその姿を現した楼蘭王国の歴史です。

「『小国は、大国の間にあり。両属せざるんば、もって自ら安んずることなし』。『漢書』に見られる楼蘭王の言葉である。匈奴と漢という大国に挟まれて、それでもなお楼蘭王国のような小国が、独自の安定を求めようとするのであれば、両方に服属する以外に道はない。楼蘭も姑師も、匈奴や漢が支配の手を伸ばす以前から、地理上の要衝に位置する独立国であったことは、その付近に古代の人々の墳墓が散在していることからもわかる。大国が関心をもつ前から、この王国の人々は独自の文化と社会を形成していたのである。しかし国の安定は、匈奴が月氏を逐ったときに崩れた。あるいは、そのときまでは月氏の影響下にあったと考えることもできるのだが、ともかくその月氏が逐われて、匈奴も力が及び、次に匈奴が漢によって河西回廊から逐われると、今度は漢の力が及ぶことになったのである。その結果、楼蘭王が、趙破奴によって捕虜として捕らえられてしまった。楼蘭王国は、漢に降伏し朝貢を始める。これを知った匈奴が、今度は楼蘭王国を攻撃する。そこで、楼蘭王国は、王子の一人を匈奴に、もう一人を漢に人質として差し出して、バランスをとった。二股外交である。この態度を武帝によって糺された楼蘭王が答えたのが、冒頭の言葉である」。

「(紀元)前92年、楼蘭王が死んだ。楼蘭国から使いが来て、人質として漢にいる王子を楼蘭国の新王に立てたいと申し入れた。この人質の王子は、以前に漢の法律に触れて罰せられ、宮刑に処せられていた。それで、漢は王子を帰国させなかった。楼蘭からの要求にはこう答えた。『侍子は、天子が寵愛している。帰国させることはできない。その次に王位を継ぐべき者を、別に新王として立てよ』。楼蘭は別に一人の王を立てた。それで漢は、新たにもうひとり人質を出すことを当然のごとく求めてきた。尉屠耆が人質として出された。楼蘭は、匈奴にもまた一子(後の安帰王)を差し出して人質とした。その後、この王も死んだ。匈奴が、先にこの王の死を聞いて、人質にしていた王子の安帰を帰らせ、王位につけた。漢は使者を遣って、新王に武帝からの命令を伝え、入朝させて、武帝からの褒美をとらせようとした。王が死んで、習慣に従いその妻は新王の妻になっていた。新王にとっては、もとの継母である。その継母が新王に言った。『先王は、二人の王子を漢に人質として出したが、漢は二人とも帰さなかった。そんな国にどうして行こうとするのか』。新王はその考えを聞き入れて、漢の使者にことわって言った。『自分は新王として立ったばかりである。国はまだ安定していない。天子に会うのはあと数年の後にしたいと思う』と」。

「一方、漢の人質となっていた新王の弟、尉屠耆は、兄の安帰が楼蘭国の新王となったので、自ら漢に投降して、次のような事情を詳しく話したのであった。楼蘭国は、西域諸国の中では最も東の境にあって、漢に最も近い。・・・(楼蘭国は)再び匈奴の側について、漢の情報をひそかに匈奴に伝えたり、漢の使者の行く手を遮り、殺したりしている、と。前77年、大将軍の霍光が建白して、平楽監の傅介子を楼蘭に送って楼蘭王を暗殺することにした。・・・(傅介子の部下)二人が、後ろから王を刺し殺した。・・・傅介子は、告げ諭して言った。『楼蘭王が漢にそむいた罪によって、天子(昭帝)が、この私を派遣して、王を殺させたのである。新王には現在人質として漢にいる弟の尉屠耆を新たに立てるべきである』。傅介子は、こうして楼蘭王嘗帰(安帰王)の首をはね・・・そこで漢の昭帝は、尉屠耆を新王に立て、その国の名前を改めて『鄯善』としたのである」。こうして、紀元前77年に、楼蘭という国名は地上から消えたのです。

ロマンを感じさせる楼蘭に、このように過酷な歴史があったとは――複雑な気持ちになりました。