『シートン動物記』は、やはり、動物文学の最高峰だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1858)】
ブラシノキのブラシ状の赤い雌蕊と雄蕊、蕾が目を惹きます。カルミア・ラティフォリア(白色)、アルストロメリア(桃色)、テイカカズラ(白色)、ハコネウツギ(桃色)、ムラサキツユクサ(紫色、薄紫色、白色)の花が咲いています。フキが育っています。
閑話休題、『シートン動物記(上)』(アーネスト・トンプスン・シートン著、小林清之介訳、旺文社文庫)に収録されている「ロボ――カランポーのオオカミ王」は、何度読み直しても、胸が熱くなります。
「オオカミ王ロボというのは、このあたり(=ニュー・メキシコ州の北部の広大な放牧地カランポー)を、わがもの顔に荒らしまわっているオオカミのかしらのことだ。彼は、年とった雄の灰色オオカミで、からだはなみはずれて大きく、たくましく、そしてずるがしこいのであった。ヒツジ飼いやカウボーイで、ロボを知らぬ者はひとりもなかった。みんな、ロボとその手下どものために、何年にもわたって、放し飼いの牛やヒツジを痛めつけられてきたのだから、これは当然のことだった」。
「ロボとその手下は、まるで不死身だった。猟師という猟師は、みんな裏をかかれた。毒薬をしかけた餌などは、見向きもされなかった。かれらは、5年のあいだ、毎晩のように、雌牛を1頭ずつ、カランポーの牧場主からとり立てて行った。この計算でいくと、ロボの一隊は、より抜きの家畜を、じつに、2千頭以上も殺してしまったことになる」。
「ロボは、自分たちの手で殺した牛の肉でなければ、食べようとしなかったし、また手下のオオカミどもに食べさせもしなかった。この習慣のおかげで、彼の手下どもは、いつも毒餌の危険からまぬがれることができたのである。ロボの鼻は、毒のにおいをよくかぎ出した。また人間の手が触れた部分のにおいも、ちゃんとかぎ分けることができた。その鋭い嗅覚が、ロボの一味を、いっそう強力なグループに仕立てあげているのだった」。
「毎朝のように、胸をおどらせながら、(毒薬を仕掛けた)現場にかけつけてみた。が、わたしのこれほどの努力も、すべて水の泡だった。ロボの悪知恵は、まったく度はずれだったのである」。
「闇のなかをかけ抜けて来たロボは、たくみにかくしてあった地中のオオカミわなを、たちまち見破ってしまった。彼は手下どもが前進するのをおさえておいて、用心深くそのへんをひっかきまわした。とうとう、わなも、鎖も、丸太も全部外にあばき出した。わなをひきずり出して、危険なバネをはじかせた。こんなふうにして、次から次へと、10以上もあったオオカミわなを、全部はじかせてしまったのである。わたしはまた失敗した。が、この失敗によって、ロボのやり方に、一つの癖があることに気づいた。と同時に、彼をおとしいれる新しい計画が、ふっと頭にひらめいたのである。これだ。これなら成功するかも知れない」。ロボの若い連れ合いの白い雌オオカミ、ブランカの軽率さを利用しようというのです。
遂に、その日がやって来ます。「今、わたしの目の前にいるのは、まぎれもないロボだった。がっちりと鋼鉄のわなにかまれたカランポーのオオカミ王だった。かわいそうに、ロボは愛するつれあいを捜して歩き、その足跡を発見すると、思わずわれを忘れてあとを追いつづけた。それが、人間の作ったにせの足跡とも知らないで・・・。そして、とうとう仕掛けられたわなに、みずから踏み込んでしまったのである。彼は4つのわなの鉄の歯じめに、がっきとかみつかれ、まったく手も足も出ないかっこうのまま、そこに横たわっていた」。
動物文学の最高峰がここにある、と再認識することができました。