ウイグル人の手になる唯一のウイグルの歴史書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1880)】
ズッキーニの花と実の写真を撮っていたら、貸し農園で作業中の男性が、1本、女房に手渡ししてくれました。ビワが実を付けています。我が家の、さまざまな色合いのアジサイ、ガクアジサイたちが見頃を迎えています。キジバトのカップルが巣作りに励んでいます。
閑話休題、中国によるウイグル人、チベット人、香港、台湾弾圧のニュースに接するたびに、胸が痛み、怒りが湧き上がってきます。
ウイグルの歴史を知りたいとの思いから、ウイグル人の手になる唯一のウイグルの歴史書『ウイグル人』(トルグン・アルマス著、東綾子訳、集広舎)を手にしました。
本書の原書が出版されたのは、天安門事件から4カ月後の1989年10月だったが、その年末には発禁処分を受け、中国国内から姿を消してしまいました。この機会を逃したら永久に出版できないだろうとの危機感のもと、古代から9~11世紀に栄えた甘州ウイグル国まで執筆した時点で急遽、出版に踏み切っているため、残念ながら、未完のままとなっています。
従って、「ウイグル人はその発展の過程において、威厳を保ち堂々と暮らしていた。ウイグル族はもともと、我々の祖先と同胞民族である匈奴が支配する王国(前240~後216年)、突厥が支配する王国(551~744年)の構成民族として存在し、その後、ウイグル・カガン国(646~845年)、カラハン国(850~1212年)、天山ウイグル国(850~1335年)、甘州ウイグル国(870~1036年)、ヤルカンドハン国(1504~1678年)などの強大な王国を建てた」のだが、本書からはヤルカンドハン国がすっぽり抜け落ちています。
「地質学的、考古学的な証拠、そして中国及び外国の古代の歴史家の記述から、ウイグル人の最古の故郷が新疆を含めた中央アジアであることに疑いの余地はない」。
「750年代、東アジアにはウイグル・カガン国、唐、チベットの三大国が存在し、それぞれの関係は複雑で緊張状態にあった。唐には以前ほどの力はなく衰退に向かっていた。逆にウイグル・カガン国はウトゥルク・ビルゲの時代から繁栄に向かい、強力な国になっていた。チベットも数十万人の軍事力を持ち、たびたび隣り合った国、特に唐への攻撃をしかけ、脅かすようになっていた。・・・それで唐はウイグル・カガン国と同盟を結び、チベットに対抗する戦略をとることにした。・・・756年に結ばれた条約で、唐は公主(皇帝の娘)をウイグルのカガンたちに嫁がせること、毎年2万疋の絹織物をウイグル・カガン国に納めること、と決められた。唐は約100年にわたってこの義務を果たした。この2万疋の絹織物のことを中国の御用歴史家は『贈り物』という美しい言葉で柔らかく書いているが、実際には毎年ウイグル・カガン国に納めなければならない『税金』にほかならなかった。条約どおり、758年に粛宗は自分の娘、寧国公主をバヤンチョルに嫁がせた。・・・寧国公主は遠い異国の王に嫁ぎたくはなかった。父親と別れてカラバルガスンに向かうときは悲しみに涙しながら『国のことが大事です。私は死んでも後悔はしません』と言った。寧国公主自身、自分が重要な政治的責任を負わされていることを知っていたことが明らかである。ちなみに、ウイグル・カガン国に嫁いでいく前に寧国公主は2度結婚しており、バヤンチョルは彼女にとって3番目の夫だった。寧国公主が嫁いでから1年後の759年にバヤンチョルは亡くなった。ウイグル人の慣習に則り寧国公主はバヤンチョルと共に埋葬されようとしたが、漢族の風習も尊重してほしいと懇願し、生き埋めを免れた。・・・寧国公主は子供を産まなかったので唐に返された。バヤンチョルの跡を継いだのは末子のブグハンだった。彼は寧国公主と共にカラバルガスンにやって来た小寧国公主と結婚した」。唐は漢族の王朝ではないが、漢族の風習を採り入れていたということでしょう。
「甘州ウイグル国は東西をつなぐ通商路にあったために、西側諸国と中国との交易において重要な役割を果たしていた。また甘州ウイグル国は中国の諸国にも常に隊商を送り貿易をしていた。ここで明らかにさせておかなければならないことがある。中国の中世の歴史家たちはこの隊商を『使者』、物品を『貢ぎ物』のように間違えて記しているが、実際には、甘州ウイグル国が中国の王たちに服従したことは一度もなかった。北宋と同盟していたときでも、甘州ウイグル国は決して北宋に服従していたのではない。なぜなら、北宋には甘州ウイグル国の軍や政治に圧力を加える力はすでになかったからである。北宋はキタンやタングートの攻撃を受け、重大な危機に直面していた。このような状況にあって、『甘州ウイグル国が北宋に税を納めた』とは、まともな頭脳と感覚を持っている歴史家ならば、書けるはずがない』。
後進のウイグル人たちに、祖先の栄光を忘れずに、どのような環境にあっても誇りを持って生きよ、と訴える著者の熱い思いがひしひしと伝わってきます。