葛飾北斎が描いた生々しい妖怪たちが勢揃いの一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1947)】
ウチワヤンマ(写真1)、オオシオカラトンボの雄(写真2)、アゲハチョウの夏型の雄(写真3)、雌(社員4~6)をカメラに収めました。マンリョウが白い花だけでなく、赤い実を早くも付けているではありませんか。
閑話休題、『北斎妖怪百景』(京極夏彦・多田克己・久保田一洋編著、国書刊行会)には。葛飾北斎が描いた生々しい妖怪たちが勢揃いしています。
例えば、「生首図」は、このように説明されています。「殺害された者の生首なのだろうか、悔しさのあまり歯噛みしている表情は、『殺されたって死ぬものか』と言っているかのようだ。画面には供養のための柄杓も見え、あるいは生首は成仏できない死者の亡魂の出現なのかもしれない」。夢に出てきたら、うなされそうな凄まじい表情をしています。
「北斎妖怪画の代表作『百物語』を見てみよう。位牌に巻き付く蛇、蚊帳から顔をのぞかせる骸骨、血を流す赤子の頭を毟り取る般若、皿に怨念を重ねた轆轤首、上眼使いの恨めしそうな提灯。想像と現実の間を、見る人の感情が、あまりにも行き来しやすい。リアルすぎるのだ。北斎のもつ、この生々しさは、一体どこから来たのだろうか」。
「北斎が本格的に怪奇表現に傾倒するのは、文化初(1804)年、45歳の頃からである。それは読本(よみほん)の挿絵で発揮された」。
「『北斎漫画』は、北斎の絵本として余りにも名高く、数々の妖怪・幽霊・化物が登場している。手長・足長・三ツ目・轆轤首・鬼・天狗、河童や人魚など、人間と動物の中間的な化物が多い。それが一般の人物に混ざって登場し、時には芸をして見せるので、現実と空想の間で、一種のユーモアが生じている。それが救いなのかもしれない。妖怪の大半は、現実に存在する身体の一部を部分的に誇張したり、別々の部分同士を結合させて描いているのだから、リアルで生々しい」。
「北斎が、あえて目に見えない妖怪・幽霊を描くと、『百物語』にしても生々しく、さながら現実的で恐ろしい。リアリスト北斎のなせる業である。対象の本質を捉えようとした北斎が絵で訴えたものは。目に見えて見えないものであり、一番恐ろしいのは真の現実である。これは時代を越えて。現代社会にも多分に通じるものがあろう」。