榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

馴染みの薄いアイルランドが身近に感じられるようになる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1955)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年8月21日号】 情熱的読書人間のないしょ話(1955)

ニチニチソウの葉を食べるアオドウガネをカメラに収めました。あちこちで、さまざまな色合いのニチニチソウが咲き競っています。

閑話休題、『妖精の棲む島 アイルランド――自然・歴史・物語と旅する』(渡辺洋子著、三弥井書店)は、馴染みの薄いアイルランドを知るのに恰好の一冊です。著者自身の紀行文と自然、歴史、物語、特に妖精物語の解説が見事に融合して、アイルランドに対する理解を深めてくれるからです。

「アイルランドには国造りの神話はない。アイルランドの神話は紀元前5世紀ごろから波状的にヨーロッパから渡来した人々ケルト人の神話である、ケルト人という部族がいたわけではなく、同じような風習、言語を持つ多数の部族の総称と考えられている。ケルト人の一部族にダナーン族という超自然的な力を持つ部族がいて、その部族のアイルランドへの侵攻の様子を語るのが、アイルランドの神話である。・・・しかしダナーン族のものたちはやがてスペインのほうから来た別のケルトの部族ゲール族に敗れ、国土を引き渡すことになるのだが、ダナーン族はアイルランドの土地を去らずに、各地に点在する塚や土塁の地下に潜り不思議な世界を築きアイルランドにとどまったのである。一方ゲール族は今日のアイルランド人の祖先となり、その言語はアイルランド語(ゲール語)のもととなったと語られる。地に潜ったダナーン族は地下に永遠の不思議の世界を作り、時々地上に現れて人間たちの暮らしに介入することもあったと語られる。以上はアイルランドの写本に残る物語の世界で事実がこの通りであったわけではない。しかしアイルランドの神話はアイルランドの歴史を理解するうえで重要なことをいくつか提示している。一つはアイルランドという国が様々な民族の侵入によって作られてきたという点である。もう一つはダナーン族がアイルランドを去らずに地下にとどまり不思議な世界を構築したことであるが、このことはアイルランド人の二重構造の世界観、現実の世界の隣に常に豊かな想像力の世界を持つ精神構造を理解するうえで重要であると思う」。

「レンスターの族長の一人ダーモット・マクマロが部族間の争いから一歩抜け出ようと、イギリスのヘンリ2世に援助をもとめた。この結果1169年にイギリスのヘンリ2世の臣下ウェールズのペンブローク伯ことストロングボウがウォーターフォードに上陸し、更にその3年後1172年ヘンリ2世がアイルランド王としてアイルランドに上陸して、アイルランドはイギリスの植民地になったのである。アイルランド王になったヘンリ2世はすぐに封建制度を導入し、アイルランドの主だった場所の土地を臣下に与え、領主になった臣下は城を造り、聖堂を建て、町づくりに力を注いだ。ヘンリ2世の一族の祖先は10世紀初頭にフランスの北のノルマンディーにノルマン公国を建設したヴァイキングの末裔で1066年その王ウィリアムがイギリスの歴史上重要な『ノルマンの征服』を行ったのである。彼らをアングロノルマンと呼ぶ所以である」。

「アイルランド人にとって、イギリスからの独立は悲願であった。特にアイルランドの南部や南西部の人々はその気持ちを強く持っていた。『キンセールの戦い』でも見られたように、アイルランドの歴史においてその願いをかなえようと立ち上がった勇者は何人もいたものの常に挫折に終わっていた。しかし19世紀の終わりに、ロスカーベリー近くの村に一人の勇者が現われ、この悲願を達成したのである。マイケル・コリンズである。・・・マイケルは独立戦争においてアイルランド軍の指揮官を務め、これまでの歴史でいつもイギリス側がスパイを使って勝利した戦法を逆手に取り、先手を打ち次々に勝利を収めたため、当時のイギリスの首相ロイド・ジョージはアイルランド国会の首相エアモン・デヴァレラに休戦交渉をもとめた。この交渉にマイケル・コリンズがデヴァレラに代わって出席した。交渉は難航し、優れた戦術家のマイケルもイギリス人の手練手管の交渉術にてこずらされた。そしてついに1921年12月に『北東の6県をイギリスに残し、南の26県を自由国とする』案にサインしたのだった。しかしその時マイケルは心の中で『この書類にサインしたことで自らの死が確実のものとなった』と思ったという。彼の予想は的中し、調印後6カ月も経たないうちに、アイルランド国内はマイケル・コリンズが率いる自由国賛成派とエアモン・デヴァレラ率いる完全独立派に別れて戦う内戦に突入した。そしてその最中にマイケルは待ち伏せしていた敵側の兵に撃たれ、命を落としたのである。マイケルの葬儀にはアイルランド史上かつてなかったほど大勢の人が参列したと言う。その後アイルランドは1949年北東の6県をイギリスに残したまま共和国『アイルランド』として完全に独立し、現在に至っている」。

長く中世の領主の元で栄えた町・キルケニーには、未だに中世の名残をとどめる建物や通りが多いと述べられています。「キルケニーの町の通りを歩いていると、突然建物に穴をあけたように通っている狭い横町に出くわすことがある。この道を歩いた先には何があるのだろうと思わせる、暗い細い横町はスリップと呼ばれ、キルケニーの町の名物の一つと言える」。私も、こういう暗くて狭い道を歩いてみたくなりました。

ニュウ・ロスの南約12kmの高台に、アメリカ合衆国第35代大統領J・F・ケネディの曽祖父パトリック・ケネディが生まれ、現在もその子孫が住んでいる家が公開されている。パトリックは1823年にケネディ家の三男として生まれるが、当時アイルランドでは長男以外には土地の相続権がなかったため、1848年にアメリカに向けて出航し、翌年ボストンに到着、桶職人として生計を立てていたが、35歳の時コレラにかかり数人の子どもを残し世を去る。しかし子供たちは懸命に働き、その子孫の中から後に大統領を筆頭に多くの政治家や実業家を世に出すことになる」。