憧れのマドンナは、突然、退学してしまった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1962)】
ニホンカナヘビの尾の長さがよく分かりますね。ミシシッピアカミミガメが挨拶するかのように、顔を出しました。珍しい羽色のドバト(カワラバト)を見かけました。
閑話休題、40年ぶりに、『青葉繁れる』(井上ひさし著、文春文庫)を再読しました。この自伝的青春小説の中では、井上ひさしらしき高校生が、若尾文子と思われる女子高生に一目惚れしたのだとばかり思い込んでいたのに、最近、読んだエッセイ集『小説をめぐって』(井上ひさし著、岩波書店)には、井上が仙台第一高校に入学した時には、仙台第二女子高校の若尾は東京に転居していたので、上級生たちから若尾の美しさを聞かされるばかりであったと書かれているではありませんか。私の思い込みが間違っていたのか気になったので、『青葉繁れる』を書斎の書棚から引っ張り出してきた次第です。
一高生のマドンナ的存在である若山ひろ子は、一高生行きつけの饅頭屋でアルバイトをしています。そのうち、一高の演劇部が二女高の演劇部に働きかけて、秋に英語劇の合同公演をすることになります。
「(饅頭屋の)一高軒で働いているときの大人びた雰囲気は、今は制服に包まれ隠されて、ひとかけらもない。ひろ子は牛乳を静かに飲んでいるところだったが、その仕草はごく自然で、照れも衒いもなかった。牛乳壜の口にそっと触れられている形のよいひろ子の下唇に見惚れながら、稔はああ、あの牛乳壜になれたらなぁと思った。稔がひろ子につけた点数はむろん百点だった」。
「ひろ子はあいかわらずテーブルの上に謎のような微笑を注いでいた。彼女はまるで稔たちが二年のときに使った西洋史の教科書の挿絵から抜け出してきたようだった。ルネッサンスという章のはじまりの頁にダビンチの『モナリザ』が載っていたのだが、ひろ子のたたずまいがその絵とそっくりなのである。ひろ子に見とれている稔の頭のどこかに、FENでよく聞くナット・キング・コールの『モナリザ』の冒頭部分ががんがん鳴り響きはじめた」。
8月中旬に英語劇の稽古がまた始まったが、稔たちが愕いて腰を抜かすような情報――ジュリエット役を務めていた若山ひろ子が突然、退学したという知らせがもたらされます。
年が明けて――。「板塀には映画館のポスターが貼ってあった。そのポスターを眼の端に入れながら歩いていた稔は、ある一枚の前でつっと足をとめた。ポスターの中から誰かが自分に向って声をかけているような気がしたからである。目を近づけてよく見ると、声と思ったのは、ポスターの右上の角が剥れ、それが風に震えて鳴っている音だった。そして誰かというのは、あの若山ひろ子だった。それは『十代のあやまち』という映画のポスターで、十人の十代女優が一挙にデビューする性典映画の決定版! と惹句は説明していた。若山ひろ子は若山浩子と改名していたが、モナリザのような微笑みは、前とすこしも変っていない。・・・それから稔は、この何カ月かの間にめまぐるしく起った事がらを心に釘付けにしようとでもいうように、震えているその角をしっかりと鋲で止めた」と、本作品は結ばれています。
最終ページを閉じると、青春時代の甘酸っぱい思い出が甦ってきました。