榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

若き女性解剖学者が、キリンが首を動かすときは、頸椎だけでなく、第一胸椎も動いていることを発見するまでの奮闘記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2047)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年11月21日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2047)

マムシグサ(写真1、2)、クロガネモチ(写真3、4)、トキワサンザシ(写真5)、コヒーノキ(写真6)、チェッカーベリー(写真7)、ヒメリンゴの長寿紅という品種(写真8)、コミカン(写真9)、サイパンレモン(写真10)、マイヤーレモン(写真11)が実を付けています。ローゼル(写真12)が萼を付けています。我が家の駐車場で、アメリカシロヒトリの幼虫(写真15)を危うく轢きそうになりました。

閑話休題、『キリン解剖記』(郡司芽久著、ナツメ社)の読後感を一言で言えば、「すこぶる面白い」に尽きます。

幼い頃からキリンが大好だった著者が、東大の学部、大学院時代を通じてキリンの解剖に取り組み、さまざまな経験を重ねて、遂に、「キリンが首を動かすときは、頸椎だけでなく、第一胸椎も動いている」という画期的な論文を世界的な学術誌に発表するまでの奮闘記だからです。

「『キリンが亡くなりました』。私の研究は、動物園のスタッフから届くキリンの訃報から始まる。亡くなってしまったキリンの遺体をトラックに載せ、研究施設に運び込む。トラックについているクレーンを使って、遺体を解剖室へ下ろす。キリンの首は、長さ2m、重さ150kgほど。ヒト用の解剖台にぴったりのサイズだ。無機質な銀色の解剖台の上に載ったキリンの首の前に立ち、解剖道具を手にする。使用するのは、刃渡り17cmの解剖刀。右手に持った解剖刀を皮膚にあてがい、ゆっくり皮膚を切り開いていく。切れ目に指を入れ皮膚を少し持ち上げ、皮膚と筋肉の隙間に解剖刀を差し込み、丁寧に皮を剥いでいく。皮膚の下に隠れていた筋肉が見えてきたら、医療用の小さなメスに持ち替え、脂肪や結合組織を取り除いていく。隣には、表紙に血の痕がついた使い古しのスケッチブックと色鉛筆、そして一眼レフカメラ。あらわになったキリンの首の筋肉の構造を写真に撮り、スケッチブックを開き、筋肉の構造の特徴を描き込んでいく。これが私のいつもの仕事の様子だ。私はキリンを解剖して、彼らの体の中に隠された筋肉や骨格の構造を調べている。・・・初めてキリンの解剖をしたのは、19歳の冬だった。それからおよそ10年経ち、これまでに30頭のキリンを解剖してきた。北は仙台から、南は鹿児島まで、全国各地の動物園からキリンの遺体を献体していただき、たくさんの解剖の機会に恵まれてきた。・・・数十頭をしっかりと解剖したことがあるという人には、まだお目にかかったことがない。海外の研究者でも、私以上にキリンを解剖している人には会ったことがない。もしかしたら私は、世界で一番キリンを解剖している人間なのかもしれない」。

「『キリンが首を動かすときは、頸椎だけでなく、第一胸椎も動いている』。私の発見は。簡潔に言えばこれだけだ。キリンは、進化の過程で、高い所にある葉っぱを食べるのに有利な体を獲得してきた。首だけでなく、四肢もとても長い。しかも、後肢よりも前肢の方が長いので、首の根元の位置自体がほかの動物に比べて高くなっている。この体形は、高い所の葉を食べるのには有利だけれど、一方で地面の水を飲むことは難しくしてしまう。高い可動性をもつ『8番目の<首の骨>』は、上下(背腹)方向への首の可動範囲を拡大し、『高いところの葉を食べる』『低いところの水を飲む』というキリン特有の相反する2つの要求を同時に満たすことを可能にした。今回の研究で得られたデータから、大人のキリンではこの特殊な第一胸椎によって、頭の到達範囲が50cm以上も拡大されることが推定された。キリンは、『頸椎数は7個』という哺乳類の体作りの基本形から逸脱することはできなかった。けれども、筋肉や骨格など、もともともっている体の構造をわずかに変えることで、機能的要求を満たすような『8番目の<首の骨>』を手に入れた。哺乳類に課された体作りの厳しい制約のもとで、体の構造を大きく変えることなく、自らの独特な生態に有利な構造を獲得したのだ」。この論文が、現存する最も古い科学学会である英国王立協会が発行する科学論文誌に掲載されたのは、2016年2月のことでした。「当時の私は26歳。奇しくも、19歳の時に初めて解剖したキリンの夏子と同じ年になっていた」。

私のような生物好きには見逃せない情報にも言及されています。

「2016年、ドイツやアフリカの国際研究チームによって、キリンⅠ種説に一石が投じられた・たくさんのキリンからDNAを採取し、遺伝子の特徴を調べてみたところ、遺伝的特徴の異なる4つの集団に分けられることが明らかになったのだ。研究者たちは、その4つのグループを、『アミメキリン』『マサイキリン』『ミナミキリン』『キタキリン』と名付けた」。

誰でもできるキリン4亜種の見分け方が紹介されています。「●アミメキリン=明るいクリーム色のラインできれいに区切られた模様をもつ。四肢の内側にも模様があり、かかとを少し超えたところまで模様が広がる。●キタキリン=扇形の模様や、スジが入ったような少しムラのある模様をしている。模様はかかとくらいまでで、足先の方が真っ白い。アミメキリンに比べ、個々の模様はやや小さく、模様同士の隙間が少し広い。四肢の内側には模様が入らないこともある。●マサイキリン=アミメキリン・キタキリンとは異なり、ギザギザに割れた不規則な形の模様をもつ。葉っぱや星のような形の模様が、蹄の方まで広がっている」。なお、日本の動物園ではミナミキリンとキタキリンは飼育されていないが、交雑の影響なのかは不明だが、アミメキリンとして展示されている個体がキタキリンのような特徴を示すことがあると解説されています。

「今ではキリンとオカピのたった2種しかいないキリンのなかまだが、かつては30種以上も存在していたのだ。しかも、アフリカだけでなく、ヨーロッパ、アジアにも生息していた。今から500万年以上前、中新世と呼ばれる時代の話だ。2016年、『キリンとオカピの間くらいの長さの首をもつ化石』が見つかった。今から700万年ほど前、ユーラシアからアフリカにかけて生息していた『サモテリウム・メジャー』というキリンのなかまだ」。

キリンの研究を通じて大切なことを教えられたという著者の述懐は、感動的です。「自分の力ではどうしても変えられないことは、きっと世の中にたくさんある。大事なのは、壁にぶつかったそのときに、手持ちのカードを駆使してどうやって道を切り開いていくかだ。逃れられない制約の中で、体の基本構造を大きく変えることなく獲得された『キリンの8番目の<首の骨>』は、私にそんなことを教えてくれた」。