榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

江戸のうらぶれた長屋に暮らす人々の哀歓が滲む連作短篇集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2129)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年2月10日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2129)

我が家の庭の餌台の常連である2羽のメジロが、ハッサクを盛んに啄んでいます。我が家の庭師(女房)によれば、昨日は、違う2羽のメジロがやって来たため、餌を巡って激しく争っていたそうです。庭の片隅では、センニチコウの苞がドライフラワーのようになっています。

閑話休題、『心淋(うらさび)し川』(西條奈加著、集英社)は、江戸のうらぶれた長屋に暮らす人々の哀歓が滲む連作短篇集です。

「その川は止まったまま、流れることがない。たぶん溜め込んだ塵芥が、重過ぎるためだ。・・・岸辺の杭に身を寄せる藁屑や落葉は、夏を迎えて腐りはじめている。梅雨には川底から呻くような臭いが立つ」。「この千駄木町の一角は、心(うら)町と呼ばれていた。小さな川が流れていて、その両脇に立ち腐れたような長屋が四つ五つ固まっている」。ここに暮らす人々は、それぞれの重荷を背負っています。

「心淋し川」では、十九歳のちほの儚い恋が語られます。「縁談などというかしこまった形ではないものの、二、三は嫁入り話がもち込まれたこともあった。いずれも同じ土地の振り売りや薄給の雇人ばかりで、ちほの家に釣り合うのはそれくらいがせいぜいだ。家が貧しく、特に器量が良いわけでも秀でた才があるわけでもない。ここで手を打たねば、行き遅れるだけだと頭ではわかっている」。

「閨仏」は、四人の妾が同居する「六兵衛旦那の、ろくでなし長屋」が舞台です。「上は三十過ぎから、下は二十二まで、四人の女が同居して、もっとも年嵩にあたるのが、りきだった。・・・四人の女は、いずれも見目が良くなかった。歳も故郷も、背丈もからだつきもさまざまなのに、醜女の部類に入るという一点だけは同じなのである」。

「はじめましょ」では、ささやかな飯屋「四文屋」を営む与吾蔵が、捨てた女と思いがけない形で再会します。「互いに七年分、歳をとった。与吾蔵の四つ下だから、るいは三十四のはずだ。それでも昔よりきれいに見えた」。

「冬虫夏草」では、日本橋の大店の内儀だったが、今は落ちぶれている吉の、三十一歳になる息子に対する猫可愛がりぶりが描かれています。「嘘でも見栄でもない。吉の目は、幸せそうに微笑んでいた。『息子のため、富士之助のためなら、苦労とは思いません。それが母親というものです』。そこにいるのは、息子の我儘にふり回される哀れな母ではなかった。憑かれたように我が子に執着し、獰猛なまでに情という刃をかざす姿があった」。

「明けぬ里」は、根津遊郭の女郎上がりのようの物語です。「人の一生とは、生まれ落ちたその時から決まっているのだ。ようは強くそう思った。学なぞないから、小難しいことを考えたわけではない。ただ漠然と感じただけだ。貧乏な家、ぱっとしない顔立ち、並外れた気性の強さ。どれもが足枷となって、ようの足首に重くまとわりつく」。

「灰の男」では、この一角の差配(世話役)を務める茂十こと、元同心の久米茂左衛門の謎が明かされます。差配は、江戸を騒がせた野盗の頭、地虫の次郎吉に一人息子を殺された彼の、敵を探し求めるための仮の姿だったのです。「ひそかに後をつけ、千駄木町の片隅にある窪地に行き着いた。まるで江戸の掃き溜めのように、心寂れた町だった。『地虫め・・・こんなところに潜んでいたか』。日暮れを待たずに、夕刻には日が遮られる。地虫には似合いの、薄暗さを抱えた町だった」。

不細工な女たちや冴えない男たちが蠢く、「川底から呻くような臭いが立つ」場所なのに、いつの間にかどっぷりと馴染んでしまっている私に気づき、慌てています。こういう気分にさせられるとは、この作者は、間違いなく「才能あり」です。