29歳で関ヶ原合戦に敗れ、八丈島に流された宇喜多秀家は、どんな気持ちで過ごしたのだろうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2155)】
【読書クラブ 本好きですか? 2021年3月8日号】
情熱的読書人間のないしょ話(2155)
囀るシジュウカラ(写真1)、ツグミ(写真2)、キジバト(写真3)をカメラに収めました。
閑話休題、豊臣秀吉政権の若き大老・宇喜多秀家が、29歳で関ヶ原合戦の敗戦を迎え、流された八丈島で84歳で死去するまで、どんな気持ちで過ごしたのかを知りたくて、『論集 加賀藩前田家と八丈島宇喜多一類』(大西泰正著、桂書房)を手にしました。
「(秀家が)没落後も一貫して復権(恐らく大名復帰)を目指し、これの実現を模索していた様を想起できる。・・・秀家は八丈島にありながら再起の機会をうかがい続けていた。しかし秀家の大名復帰は叶うことがなかった。享年84で秀家が逝いたのは明暦元(1655)年11月20日のことである。死因は伝わらないが病死ないし老衰と断じて大過ないであろう」。再起を果たせぬまま流人として、その生涯を終えた秀家の無念は、いかばかりだったことでしょう。
「関ヶ原敗戦後の秀家を一言にして尽くすとすれば、『したたか』というべきであろう。端倪すべからざる人物と評してもいい。八丈島でほとんど無為の生涯を送ることを強制された秀家と、その子孫=宇喜多一類もまた、『したたか』に生き抜いた」。
本書で、秀家の正室・豪が前田利家と正室・まつの娘であったことから、八丈島に流された秀家一行とその子孫が、明治維新に至る260年余に亘り、加賀藩から経済的な支援を受け続けたことを知りました。