榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

世界の最富裕層2189人の資産は、最貧困層46億人の財産より多いことを知っていますか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2161)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年3月14日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2161)

キズイセン(写真1~3)、アネモネ(写真4)、ユリオプス・デイジー(ユリオプス・ペクチナータス。写真5)、チューリップ(写真6)、ヒイラギナンテン(写真7、8)、ハーデルベルギア・ヴィオラセア(コマチフジ。写真9、10)、ローズマリー(写真11)、ヒマラヤユキノシタ(写真12)、シバザクラ(写真13、14)が咲いています。クチナシ(写真15)が実を付けています。

閑話休題、対談集『正義の政治経済学』(水野和夫・古川元久著、朝日新書)は、現在の重大な問題点を考える手がかりを提供してくれます。経済学の立場と政治学の立場からの鋭い主張が展開されるため、実に読み応えがあり、一気に読み終えてしまいました。

とりわけ心に響いたのは、「資本の暴走」に対する警告です。

●水野=人間が本質的に「進歩」していないと感じるのは、昨今の資本の暴走について考える時に、より強く感じます。古来、多くの人々が警鐘を鳴らしてきましたよね。「資本は暴走するものだから、どこかでブレーキをかけなくてはいけない」と。アダム・スミスしかり、マルクスしかり、ケインズしかり、ディドロやトマス・アクィナスしかり。本来は人を豊かにするはずの「資本」が、時に貧富の差を生み、暴走してしまう。それを防ぐための方法を多くの人が考えてきました。ところが「新自由主義経済」が主流になった1970年代あたりからでしょうか。先人たちの警告が忘れ去られ、再び資本の暴走が始まってしまいました。「市場が倫理だ」「市場で決める価値が倫理である」という説がまかり通るようになってしまった。
●水野=現在、世界の最富裕層(ビリオネア)は、たったの2189人です。しかもその総資産額は、今夏、過去最高の10兆2000億ドル(約1081兆2300億円)に達したという。2020年の4月から7月の間で27.5%増えているんですよ。コロナ禍のせいで、「絶好調」だというわけです。彼らのこの財産総額は、最貧困層46億人の財産より多い。

●古川=行き過ぎた「競争」は、その荒波に乗れない弱者もたくさん生み出しました。「小さな政府」の下では、社会福祉も削減されがちです。競争に敗れ、しかも国の公的支援を受けられない人も増え、社会の脆弱性も浮き彫りになりました。ちょうどこの頃からですよね、日本特有の「自己責任」論が出てきたのも。非正規雇用から抜け出せないのも自己責任、失業も自己責任、ホームレスになるのも自己責任だ、と。数年前には生活保護の不正申請バッシングも起こりました。行き過ぎた競争社会では、「自分はこれだけ頑張っているのだから、他人も同様に努力してもらわなくては割に合わない」という同調圧力が強まります。

●古川=市場競争が自由である以上、「勝者」と「敗者」が生まれます。もちろん社会主義国家ではない以上、ある意味それは自然な形かもしれません。ただ、競争に長けた人々がハゲタカのように敗者を追い詰め、自らの成長ばかりを求めるのは、やはり「共生」の世とはほど遠いといわざるを得ません。

では、どうすればいいのでしょうか。

●水野=富の再分配の機能を、もっと意識的に導入すべきです。マーケットの自由な競争に任せてきた新自由主義の結果が、世界的な格差の拡大です。そこにウイルスの攻撃が追加されてしまった現在、根本から方向を是正する必要があります。

●古川=金融取引税を導入することで、こうした悪循環を断ち切り、格差を縮小させ社会が一つにまとまり安定していく、という好循環をつくり出すきっかけになると思います。
●水野=私もその案に賛成です。余剰の富が集まるところから社会に再分配する仕組みをつくらなければ、貧富の差はますます拡大していくばかりです。
●古川=「儲けているところ」からもっと税金を取ればいいのに、そこは不十分で、日々の生活もままならない人たちの負担は増えているんです。儲けるのはいいんです。ただ、儲けた人は儲けたうちの一部を、社会に還元していかないと、社会はまとまりませんよ。いわゆる「ノブレス・オブリージュ」ですよね。

古典の役割の指摘には、大きく頷いてしまいました。そして、政権担当者に対する辛辣な評価は、ずばりと的を射ています。

●水野=『神の国』『ドン・キホーテ』『新しい学』はいずれも危機の時代に書かれた「古典」であって、今でも多くの人に読み継がれている。古典とは古い時代の書ではなく、精神的危機に墜ちたときに勇気を与えてくれる書籍、演劇、音楽、絵画などの芸術をいう。はからずも「古典」を読まないままに権力の座についた政治家は、現在の危機に立ち向かおうとすると、ピント外れの発言をする。「緊急事態宣言」を発するにあたって「私からの挨拶とさせていただきたい」と締めくくり、まるでパーティの主賓の挨拶だと批判される。ドイツの首相メルケルのように国民に勇気を奮い立たせる言葉を発せられない。だから「次の日程」があるとの理由で記者の発言を遮って、記者会見場をそそくさと退出する。「権力闘争を生き抜く実践知」はあっても、リヘラルアーツの本来の目的である「自由を生き抜く実践知」がまるでない。