榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本書のおかげで、万葉集の歌が身近に感じられるようになりました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2190)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年4月12日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2190)

クチベニズイセン(写真1)、ニワトコ(写真2)、ハナニラ(写真3)が咲いています。

閑話休題、『親子で読み継ぐ万葉集――ベストセレクション50』(小柳左門・白駒妃登美著、致知出版社)は、和歌はもともと、昔の人々が声に出して歌っていたものだから、皆さんも声に出して、歌うように読んでみてください――と、呼びかけています。

●君が行(ゆ)き日(け)長くなりね山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ――磐姫皇后。
「会いたい人に会えないまま、日数だけがいたずらに過ぎていく。会いに行くべきか、待つべきか、女心は行ったり来たり――。恋する女性なら、誰もが共感するこの歌は、第十六代仁徳天皇のお后・磐姫皇后が詠んだと伝えられ、万葉集で最も古い歌とされています。千数百年の時を経て、身分や立場の違いを超えて気持ちを分かち合えるというのは、素敵なことですね」。

●わが屋戸(やど)の夕影草(くさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも――笠郎女。
「(夕日のほのかな光を受けている)草花には、夕方の空気が冷えていくので、白い筒が降りている、草に置いた露は、ころっとこぼれて、今にも消えてしまいそう。それほどに切なく、消え入りそうに、(大伴)家持のことを恋い慕っているというのですが、まことに繊細で優雅な表現ですね、『もとな』というのは、もうどうしようもないほどにという意味で、一途な心が表れています」。

●卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥(ほととぎす)鳴きてさ渡る君は聞きつや――詠み人知らず。聞きつやと君が問はせる霍公鳥しぬぬに濡れてこゆ鳴き渡る――詠み人知らず。
「ホトトギスの翅をぬらす雨。その雨にうたれて、卯の花も散っていきます。その情景に互いが心を寄せ、歌を詠み交わすことで、二人の心は結ばれました。この二首を詠んだのは、有名な歌人ではなく、名もなき民です。千数百年前の庶民がこのように美しい歌を交わしていたことに、驚きと感動を覚えます」。

●あかねさす紫野(むらさきの)行(ゆ)き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る――額田王。
「額田王がふと見ると、かつての恋人・大海人皇子が袖を振っているではありませんか。万葉人は袖を振って相手の魂をこちらに招こうとした。つまり袖を振るのは求愛のしぐさであり、その姿を標野の番人が見ているかもしれないのです。番人とは野を守る衛兵か、それとも彼女の夫・天智天皇なのか――。大海人皇子は天智天皇の弟ですから、なんともドラマチックですね。・・・皇子の行為をたしなめながらも、女心はどこかちょっぴり嬉しくて、高鳴る心を抑えきれません」。

●あしひきの山のしづくに妹待つと我が立ち濡れぬ山のしづくに――大津皇子。吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを――石川郎女。
「大津皇子が恋した相手、石川郎女に贈ったのがこの歌です。・・・ああ、山のしずくに濡れながら、私はあなたを待っていますよ、との心を贈ったのです。この歌を受けて、石川郎女はこの歌で返しました。『私のことを待ってくださって、あなたが濡れてしまったという、その山のしずくに、私はなりたいものですよ』と。なんと愛情のこもった歌のやりとりでしょう」。

●夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ――大伴坂上郎女。
「『知らえぬ恋』とは、相手に届かない片思いのことでしょうか。それとも人には言えない秘密の恋なのでしょうか。どちらにしても、そのような恋はとても苦しくて辛いもの。そんな苦しい恋の象徴に姫百合を選んだ作者は、なんと繊細で優美な感性を湛えているのでしょう。ひっそりと目立たずに、でも背筋を伸ばし上を向いて咲く姫百合のように、たとえ誰に知られることはなくても、それがどんなに苦しくても、作者は誇りと情熱を胸に宿し、恋に生きるのです」。

●多摩川にさらす手作りさらさらになんぞこの子のここだ愛(かな)しき――東歌。
「輝く陽の光を浴びて、布をさらす(布を白くするために水で洗い、日に当てて乾かすこと)乙女。そのしぐさまで目に浮かぶような、生き生きとした歌ですね。・・・清らかな川の流れ、手織りの布の感触、川にさらすことで布が増々白くなる様子、そして恋の喜びが溢れ相手の娘が可愛くてたまらないという思い――、『さらさらに』の言葉一つに、さまざまな意味が込められています。・・・この歌は『東歌』の一首で、川に布をさらす娘たちの労働歌だったろうといわれています。乙女たちは、あふれる愛を注いでくれる素敵な男性をイメージしながら、仕事に励んだのでしょう」。

●信濃道(しなのじ)は今の墾道(はりみち)刈株(かりばね)に足踏ましなむ沓(くつ)はけ我が背――東歌。
「東国のある女の人が、これから遠く信濃に旅に出る夫に、その無事を祈って贈った短歌です。・・・旅立つ夫は、仕事のために、開墾されたばかりの信濃道を通って行かなくてはならない。心配でならない妻は、夫のために丈夫な藁沓を用意したのでした。どうぞこの沓を、と差し出す妻に、夫は感謝しながら、名残をおしんで旅立ったことでしょう」。

●馬買はば妹徒歩(かち)ならむよしゑやし石は踏むとも吾(あ)は二人行かむ――東歌。
「馬を持たない貧しい夫に、妻は母の形見の鏡と領巾(ひれ。肩にかける細長い布)を売って馬を買おうと提案します。その時の夫の返事が、この歌(口語訳=もし馬を買えば、私は馬に乗っても、妻は歩いて行くことになるだろう。ならば、たとえ石ころを踏みながらも、二人で歩いて行こうじゃないか)。かつて人々の暮らしは貧しかった、でも心はこんなにも豊かで思いやりに溢れていたのです」。

●わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず――防人の歌。
「遠江国出身の若倭部身麻呂という防人の作です。難波までの遥か遠い道のり、彼はしばしば休息をとり、湧き水や井戸の水でのどの渇きを潤したことでしょう。すると妻の面影が水面に浮かんでくるのです。その揺らぐ面影に、切なさと愛しさがこみ上げてきます」。

本書のおかげで、万葉集の歌が身近に感じられるようになりました。