洞窟探検に憑かれた男の探検記録から学べること・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2239)】
カルミア(アメリカシャクナゲ。写真1~4)、シモツケ(写真5~7)、キョウガノコ(写真8)が咲いています。我が家では、ガクアジサイ(写真9、10)が咲いています。
閑話休題、『洞窟ばか――すきあらば前人未踏の洞窟探検』(吉田勝次著、扶桑社新書)は、世界を股に掛ける洞窟探検家の手になる探検記録です。
「洞窟探検をしていれば、落石の直撃を受けることもあれば、道に迷うこともある。狭い通路で見動きがとれなくなったこともある。当たり前の話だが、洞窟内は常に暗いし、オレたちの体はいつも泥だらけだ。そんな話をすれば、たいていの人が『洞窟探検のいったい何が楽しいの?』となる。だが、オレははっきりと言いたい。『洞窟探検ほど面白いものはない!』と。この本を読むことで、その面白さの一端でも感じてもらえればと思っている」。
「オレの人生のいちばんのテッペンには『未踏の洞窟を探検したい!』という思いが常にブレることなく存在していて、霧穴のような未踏の洞窟探しは相変わらず続けていた。ターゲットは国内だけではなく、時間を見つけてはコツコツと海外にも遠征して、アメリカ、中国、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ラオス、オマーン、マダガスカル島などで新洞調査を行なってきた。霧穴以前のオレはやみくもに駆けずり回っていた感があるが、そのころに比べて洞窟に関する知識が増え、経験も積んだことで、洞窟の探し方もずいぶんと変わってきた」。
「洞窟というのは、言うなれば『地底における水の流れ、つまり川の流れ』である。山に雨が降ったとき、通常であれば水は地表を流れ、その流れが長い歳月をかけて地面の土や岩を削り、やがてそれが谷や川になっていく。しかし、石灰岩質の場所では、雨が降ると雨水が石灰岩の主成分である炭酸カルシウムを溶かして地下に染み込んで地下水脈となり、その水脈がさらにまわりの石灰岩を溶かして地底に空洞を作っていく。その後、地下水脈の流れがより深い層に移動して、どんどん新しい洞窟を形成していく」。
とりわけワクワクさせられたのは、ラオスの新洞調査です。「その洞窟は、入口が直径300メートルぐらいの巨大なすり鉢状の縦穴(ドリーネ)になっており、すり鉢の内側斜面を下っていくと、その底から太陽光の射し込まない横穴が続いているという構造になっていた。・・・期間ぎりぎりまで探検・測量をした結果、入口からオレたちが到達した地点までの距離は2.5キロ。入口からサンプ(=洞窟内の水没部分)まではおよそ1.5キロぐらいなので、未踏の空間を1キロほど踏破した計算になる」。
「自分の人生を全部、探検に費やしても後悔はない。人生の成功とは、いい教育を受けて、いい学校を出て、いい就職をして、いいパートナーを見つけて、車を買い、家を建てて・・・その先は? 同じ目標に向かっていろいろなものを勝ち取っていくことがすばらしい人生だと、全員が同じように思うことはない。人生の目的、生きがい、やりがい・・・人はそういうものに生きる価値を見出す。そして選択は自由だ。たまたまオレは洞窟に出合って、探検することによって身震いするほどの感動を知ってしまった。もっとほかにいい生き方があるんじゃないか? 探検家であっても迷いや疑いの気持ちはある。ほかに見つかるまでは見つけて選択したことを追求していくだけだ。ほかにもっといいことを見つけたらあっさり切り替えればいい。人生は短いから迷う時間さえもったいない。思ったらすぐ行動して、ダメだったらすぐに切り替える。探検家の資質は人生の選択の役に立つんだ」。自分は、身震いするほどの生きがいを持っているか、考えさせられてしまいました。
本書は、単なる探検記録に止まらず、人生論にもなり得ています。