ベトナム人技能実習生問題が根底に横たわる推理小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2290)】
あちこちで、さまざまな色合いのヒャクニチソウ(ジニア)が咲き競っています。
閑話休題、『アンダークラス』(相場英雄著、小学館)は、真の殺人犯と、その犯罪の全体像が明らかになった後も、重苦しい気分から容易には立ち直れない、そういう類いの推理小説です。
秋田県能代市で、老人介護施設に入居している85歳の藤井詩子が、29歳のベトナム人女性のヘルパー見習い、ホアン・マイ・アインによって水路に突き落とされるという事件が発生します。ステージⅣの膵臓がんが見つかった藤井のよき話し相手になっていたアインは、藤井から強く頼まれて車椅子ごと水路に押し出したと、自殺幇助の容疑を認めているというのです。
この事件を担当するのは、30代半ばのキャリア警視・樫山順子と、彼女から協力を依頼された、還暦が視野に入ってきた窓際刑事・田川信一のコンビです。
この事件の根底には、ベトナム人技能実習生問題が横たわっています。
「『私、そして友達のベトナム人、みんなスレイブ。奴隷だったね』。スレイブ、奴隷・・・アインが発した言葉が耳の奥に突き刺さった」。
「圧倒的な労働力不足を補うため、実習生制度という耳ざわり[ママ]の良い言葉を使い、彼らを酷使する日本のやり方は理不尽だ。腹の底から湧き上がった怒りを抑えるため、田川は腕を組んだ」。
「『お二人は別に怒っていないから、好きなだけ食べて』。安藤の言葉にチャンが安心したようにサンドイッチを頬張り始めた。『彼女たち、日本人はすぐに怒り出すと思っているのです。色々とお察しください』。田川はサンドイッチを食べる二人のベトナム人女性を見つめた」。
「安藤が声を荒らげた。『懲罰房です。見せしめとしてケージが使われていた時期がありました。労基署が立ち入り検査したときに発覚したので、現在は使われていないはずなのですが』。『ケージとはまさか・・・』。樫山の声が上ずっている。『大型犬用の鉄製の檻です』。田川らのやりとりをチャンとハーが不安げに聞いているのがわかった。『jailはひどいね。ご飯食べさせてもらえないし、トイレも・・・』」。
「アインにしても、母国に幼子と家族を残し、希望の国と言われた日本で奴隷のように扱われた」。
「コウベテキスタイルの社長は以前から、ベトナム人実習生を取引先との会食に同席させていると言っていた。同席と言えば聞こえはよいが、実態は温泉街の酌婦と同じであり、ときには食事の世話以上のことを強いていた」。
さらに、日本人にもアンダークラスが存在することが明らかにされていきます。
「渋谷を行き交う若者たちのほとんどは、一生低賃金を強いられ、ボロ雑巾のように使い捨てられる運命が待っていることを知らない。下層民は下層の世界だけで交わり、上に別のクラスがあることさえ知らずに死んでいく」。
「『日本人の格差拡大が問題になりましたが、現状、事態はより深刻になっています。一度下層に落ちれば、這い上がれなくなる。貧乏が固定化され、孫子の代まで貧困と下層の輪廻が続きます』」。
そして、流通業界の覇者として君臨する世界的IT企業サバンナが絡んできます。
「アインを苦しめたコウベテキスタイルの生殺与奪の権利は、元請けががっちり握っている。その元請けにしても、サバンナという巨大な流通プラットフォーマーが手綱を持っている。世界中で幅を利かせているサバンナの要求に応じるため、アインや他のベトナム人実習生たちは寝る時間さえ奪われ、働かされている」。
「サバンナが扱う工業製品や様々な部品、食品等々の生産には今や外国人の安価な労働力が欠かせない」。
「『労基法違反はおろか、人権蹂躙をもメーカーに誘引させるサバンナの理不尽なやり方に対し、アインから話を聞いた藤井さんが怒りを募らせ、電話を入れて抗議した』」。
「ネット社会の急激な台頭とともに商業の寡占化が急速に進み、外資系の大手物流会社が国境を越えて日本の仕組みを破壊した。日本社会の高齢化、人手不足など深刻な問題を巻き込み、ネット企業という怪物と、そこに巣食うエゴ剥き出しの人間たちが、健気に生きてきた人間をいとも容易く踏み潰してしまった」。
世界的IT企業サバンナがどこをモデルとしているかは読者の判断に委ねられているが、サバンナを描くに当たっては日本の大手IT企業の事例も採り入れられています。