向田邦子の言葉は、何とも言えない味があるなあ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2295)】
スイカ、トマト、イチジク、ゴーヤー、クリが実を付けています。ハロウィンカボチャの花が咲いています。アカジソが育っています。
閑話休題、『少しぐらいの嘘は大目に――向田邦子の言葉』(向田邦子著、碓井広義編、新潮文庫)は、向田邦子の小説、エッセイ、脚本から選ばれた言葉が満載です。
●女のはなしには省略がない。
●女って凄いでしょ、必死になると、どんな恥かしいことでも出来るのよ。
●あなたにとって魅力のある男は、他の女にとっても魅力のある存在なのだから始末に悪い。
●専門家に伺ったところでは、動物の雄が配偶者を選ぶ規準は、まず雌として生活力旺盛なこと、次に繁殖力、そして子育てが上手なことだという。人間からみて、あら可愛いわね、などというのは、彼らの目には入っていないらしい。雌が雄を選ぶ規準は、まず強いこと。おしっこ臭い匂いを発散させ、好色であることだという。まず生きること。そして種を殖やすことが先なのである。人間も昔はこうだったのかも知れない。文化を持ち、文明が進んだおかげで、氏を言い素性を問い、学歴、係累を云々する。鼻は高いほうが上等、目は大きいほど美しい。脚は細く長いほうがいい、という誰が決めたか知らないが美醜の規準が出来上って一喜一憂している。仕方がないことかも知れないが、時にはうんと素朴に、生きてゆくには何が大切か考えてみるのも無駄ではないような気がしている。
●決断するということは、小さいものを切り捨てるということですよ。
●栄枯盛衰は時のならいだ、人間の価値とは関係なし!
●迷うことがどして恥かしいの、モタモタ迷うよりキッパリ決める方がどして上等なの。あたしね、迷う人間の方が好き。人生の一大事を、パッと思い切りよく決められるなんて、大ざっぱなのよ。いいじゃないの、七転八倒して迷いなさい。
●行くだけが勇気じゃないよ。行きたいけど、踏みとどまって行かないのも、もっと大きな人間らしい勇気ですよ。
●若さにまかせ、気持にまかせて、好きに振舞い、まだ大丈夫とたかをくくっているうちに髪に白いものがまじり、時間が足りなくなって取り返しがつかなくなる。祖母は、自分にいいきかせる形で、私に教えてくれたのだ。
●昔のセーラー服は、いつも衿が光っていた。替りがなかったこともある。石鹸も燃料も不足で、お風呂も一週間に二度とか三度という有様なので、髪もからだも垢じみていたのであろう。今の学生たちは、毎日お風呂にも入れるし、セーラー服の替りもある筈である。それなのに、昔の私たちと同じ匂いがする。あれは多分、ものが育つときの匂いなのかも知れない。自分の気持やからだの変化が不安で、現実や未来をどう掴み取っていいか判らない。明るいような暗いような不思議なものが、セーラー服の内側にあった。寝押しをするスカートの襞の奥にかくれていた。
●私は「清貧」ということばが嫌いです。それと「謙遜」ということばも好きになれません。私のまわりに、この言葉を美しいと感じさせる人間がいなかったこともあります。少しきつい言い方になりますが、私の感じを率直に申しますと、清貧は、やせがまん、謙遜は、おごりと偽善に見えてならないのです。清貧よりは欲ばりのほうが性にあっていますし、へりくだりながら、どこかで認めてもらいたいという感じをチラチラさせ、私は人間が出来ているでしょう、というヘンに行き届いたものを匂わせられると、もうそれだけで嫌気がさして、いっそ見栄も外聞もなく、お金が欲しい、地位も欲しい、私は英語が出来るのよ、と正直に言う友人のほうが好きでした。
●読書は、開く前も読んでいる最中もいい気持だが、私は読んでいる途中、あるいは読み終ってから、ぼんやりするのが好きだ。砂地に水がしみ通るように、体のなかになにかがひろがってゆくようで、「幸福」とはこれをいうのかと思うことがある。
●一冊の辞書はスリ切れるまで一生使う。そして、あとは、ベストセラーばかり追いかけずに、なるべく人の読まない本、自分の世界とは無縁の本、むずかしくてサッパリわからない本を読むのも、頭脳の細胞活性化のためにいいのではないかと思います。