榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

曹操の甘さ、司馬懿の強かさ、劉禅の情けなさ――宮城谷昌光が活写・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2375)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年10月18日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2375)

千葉・柏の「あけぼの山農業公園」で、コスモス・センセーションとキバナコスモスを堪能しました。

閑話休題、『三国志名臣列伝 魏篇』(宮城谷昌光著、文藝春秋)では、魏の名臣7人が取り上げられているが、とりわけ興味深いのは、程昱(ていいく)、蒋済(しょうせい)、鄧艾(とうがい)の3人です。

●程昱――
「劉備が曹操のもとに逃げてきた。・・・呂布に殺されそうになったため、曹操に依倚したのである、曹操は劉備を厚遇した。が、程昱はこれまでの劉備の生きかたを観て、――人からうけた恩を返す型の人間ではけっしてない。と、洞察した。どれほど曹操が劉備を厚くもてなしても、劉備に滲みてゆくものはなにもない。檻にはいった虎に愛情をかけても、檻からでた虎は飼い主をいきなり襲うであろう。ゆえに劉備を配下に置くことは無益どころか有害である。そう考えた程昱は、曹操に進言した。『劉備を殺すべきです』。曹操の左右や下にいる者のなかで、これほどはっきりと劉備抹殺を献言した者は、程昱を措いてほかにいない。が、曹操は能力優先主義者にみえるが、情の深さがあり、『わが懐にはいった窮鳥をどうして殺せようか』と、いい、この非情な献言をしりぞけた。曹操には詩人あるいは文学者がもつ歓諧と同質の性情があり、その性情が画く爽やかな人間風景のなかに自身と劉備を置いてみたくなったのであろう。むろんそれが曹操の美質であることを程昱は承知している。その美質が政治的効力を産むことがあることもわかっている。しかしながら劉備は質のまったくちがう人間なのである。そういう認識で程昱は劉備をみた。・・・朱霊が去ったとみた劉備は牙をむいた。徐州刺史の車冑を襲って殺害すると、下邳に関羽をすえ、自身は小沛にもどって独立したのである。それを知った曹操は、――われが甘かったか。と、悔やんだが、怒るというよりも、そこに画かれた人間の風景にさびしさを感じた。劉備を動かしている情熱の正体が曹操にはわからなかった」。

●蒋済――
「正始10(249)年の正月に、曹芳(曹叡の養子、魏の第3代皇帝)が高平陵(曹叡の陵墓)に参拝にでかけ、曹爽兄弟もそろって随従して洛陽城をはなれた。それを待っていたかのように司馬懿が参内した。70歳をすぎた司馬懿は老憊して、廃人同然である、といううわさが朝廷にながれていて、蒋済もなかばそれを信じていた。だが、この日の司馬懿は敏捷に動き、永寧太后(曹叡の皇后)のもとに参上して、曹爽兄弟の悪業を告げて、かれらの官位を剥奪してもらった。――司馬懿は惚(ほう)けたふりをして、この日を待っていたのか。城内の躁ぎを知って蒋済は慄然とした。司馬懿は乾坤一擲の大勝負にでたのであろう。・・・すでに武器庫をおさえ、城門を閉じさせた司馬懿が蒋済をみつけて近寄った。『あなたがいっしょなら、心強い』。そう司馬懿に声をかけられた蒋済は、ためらうことなく司馬懿の側に趨ることを決めた」。

●鄧艾――
「あの曹操が征討をあきらめた蜀の国を、いま自分が降したのである。のちの世のたれかが完成する三国に関する歴史書のなかで、かならず、――鄧艾、蜀を征服す。と、記すであろう。・・・11月の風が吹いている。鄧艾が軍を成都の北まですすめた日に、劉禅(劉備の長男、蜀の第2代皇帝)は太子と諸王それに群臣60余人を率い、みずから後ろ手に縛って棺を背負い、軍門に到った。――古代の光景をみるようだ。劉禅が背負っている棺は、自身が死んだ場合にそなえての物である。鄧艾は史書で読んだ光景を眼前のそれにかさねつつ、劉禅の縄を解き、棺を焼き棄てた。劉禅には苛酷な処罰をおこなわず、その降伏をおだやかにうけいれたという証がそれである。その後の処置も、荒々しくなかったので、鄧艾は蜀の人民にたたえられた」。