榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

オスマン・トルコ帝国の歴代スルタンとハーレムの寵姫たちの血塗られた年代記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2559)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年4月20日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2559)

鯉幟を見ると、子供の頃、父が高く揚げてくれた鯉幟を懐かしく思い出します。

閑話休題、『ハーレムの女たち――オスマン帝国史の陰に生きた美女たちの物語』(澁澤幸子著、集英社)は、オスマン・トルコ帝国の歴代スルタンとハーレムの寵姫たちの血塗られた年代記です。

スルタンの母の皇太后が権勢を振るった「女人政治」の時代を代表する女性として、第14代スルタン、アフメット1世の寵姫キョセムに多くのページが割かれています。

1603年、オスマン帝国の支配下にあったエーゲ海のティノス島のギリシア人司祭の美しい娘、13歳のアナスタシアは、人買いの男によって、第13代スルタン、メフメット3世のトプカプ宮殿に送り込まれます。その年の暮れに、メフメット3世は心臓発作で死去し、その13歳の息子がアフメット1世として皇位に就きます。

「おもしろくもなさそうにすわっていた少年スルタンの顔に、やがて変化が現れた。少年の瞳に光が灯った。その視線がアナスタシアだけを追っていることは、だれの目にも明らかだった。視線を感じてアナスタシアが思わず微笑むと、少年スルタンも優しく微笑み返してきた。15歳の少年と少女の出会いであった。・・・『ギリシア人か。余が新しい名を授けよう。今日からそちはキョセムじゃ』。・・・その夜からスルタンのお召しは毎夜のようにつづいた。15歳のスルタンは若者の一途さで、ギリシアの美少女アナスタシアをほとんど盲目的に愛してしまったのである。キョセムでなければ夜も日も明けない。あれほど寵愛していたマフフィルズも、他のジャリエ(妾)たちも、まったく顧みられなくなった。・・・スルタンの愛に応えて、花の蕾がゆっくりと開くように、キョセムは美少女から艶やかな女に成長していった」。

「ひさかたぶりに、祝砲が7つ、都の空に轟いた。皇子誕生。キョセムの2人めの子は皇子だった。スルタンの喜びはひととおりではなかった。皇子にはムラトという名が与えられた。・・・ムラト皇子の誕生から2年後、キョセムは2人めの皇子を産んだ。この子にはバヤジットという名が与えられた。すくすくと育つ子供たちにかこまれ、スルタンの愛情を独占して、キョセムは満ち足りていた。この頃がキョセムの生涯で最も平穏な日々であった」。

1617年、キョセムにとって思いもかけないことが起こります。夫のアフメット1世が27歳の若さで病没してしまったのです。キョセムは、ライヴァルのマフフィルズが産んだ13歳のオスマン皇子が皇位に就けないよう策略を巡らします。「キョセムはアフメット1世の逝去を機に、次第に強い女になっていった」。

「1618年2月、14歳になったオスマン皇子が『鳥籠』から出され、オスマン2世として即位した。母親のマフフィルズは晴れて皇太后となり、マフフィルズ・スルタナと呼ばれるようになった。(27歳の)キョセムは旧宮殿に送られることになった。勝利者となったマフフィルズの指示である」。「鳥籠」というのは、新スルタンの弟たちが収容される軟禁場所であり、旧宮殿は皇太后のライヴァルたちが送り込まれる引退場所です。

1622年、オスマン2世は叛乱軍に殺されてしまいます。「いまこそ(オスマン2世の跡を継いだ)廃人同様のスルタン、ムスタファ1世を排し、ムラト皇子を皇位に就けるときだと、キョセムは思った。ムラト皇子は11歳になっていた」。「トプカプ宮殿の外庭には、スルタン・ムラト4世となった11歳の少年が母親を出迎えていた。キョセムが馬車を降りると、新スルタンは母親の手を取ってその甲に接吻した。この年、キョセムは33歳になった。故郷のティノス島を出てから、ちょうど20年の歳月が流れていたが、13歳の無垢な美少女アナスタシアは、ついにハーレムの最高権力者である皇太后の座に昇りつめ、キョセム・スルタナと呼ばれることになったのである」。

「高官たちの目にはキョセムは権力欲の強い皇太后と映っていただろう。だが、キョセム自身は自らの権力を欲しているつもりはなかった。彼女はただ、混乱した政局の中で、幼いスルタンを守り生き残っていくことに死に物狂いになっていたのである。アフメット1世が世を去ったいま、私が息子たちを守らなかったら、だれが守ってくれるだろうか」。

「(使命感に燃えていた)ムラト4世は前世紀の道徳を復活させることを考えはじめていた。この頃から若いスルタンの行動は次第に常軌を逸したものになっていった」。「ムラトが成人してからは、キョセムは国政の場から遠ざかり、ハーレム内の最高権力者として優雅な日々を送っていた。ムラト4世にもすでに複数の『お気に入り』の女がいたが、キョセムはスルタンの愛が一人の女だけに注がれることのないように、黒人宦官たちを使って、女たちを巧みに操っていた」。

26歳になったムラト4世は、才気と美貌に恵まれた24歳の弟、バヤジット皇子が自分の寵姫と不義の関係にあるという噂を信じたのか、弟を処刑してしまいます。「キョセムが危ぶんでいたことが現実になってしまった」。

1640年、ムラト4世が28歳の若さで病没したため、24歳の弟、イブラヒムが跡を継いで即位します。幼い時から「鳥籠」で幽閉生活を強いられてきたイブラヒムは、20年間、いつ死刑執行人がやって来るかと、日々、脅え続けてきたのです。「イブラヒムの即位は、またしても恐るべき混乱の時代の幕開けとなってしまった。暴虐、残忍、奇癖、気まぐれ、独善、淫乱、放縦・・・『オスマンのネロ』『狂人イブラヒム』と呼ばれたこのスルタンの狂気の行状をあげつらったら際限がない」。キョセムはイブラヒムの廃位に同意せざるを得なくなります。「イブラヒムは廃位され、(イブラヒムの息子)7歳のメフメット皇子がメフメット4世として即位した」。

孫がスルタンになっても旧宮殿に移ることを拒否し、皇太后の座を譲ろうとしないばかりか、幼帝に代わって国政に容喙するキョセムは、キョセムを邪魔者と見る者たちに絞殺されてしまいます。1651年9月2日朝のことでした。享年61。

まさに、事実は小説より奇なりです。