榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

親鸞の「他力本願」vs道元の「自力本願」という比較論は再考の要がある・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2584)】

見上げて熱心に、エゴノキ(写真1~4)の撮影をしていたら、突如、花がポトンと1つ、私のジャケットに落ちてきました。その花に、光沢が美しいアシナガコガネ(写真5~7)がしがみついていたようです。シャリンバイ(写真8~10)をよく見ると、ナミテントウの幼虫(写真9、10)がいるではありませんか。イスノキの葉の虫癭(ちゅうえい。虫こぶ。写真12)を見つけました。アブラムシ類が犯人と思われます。ヤマボウシ(写真13~16)、ベニバナヤマボウシ(写真17、18)が咲いています。ヤマボウシでヒメウラナミジャノメ(写真15、16)が吸蜜しています。シオカラトンボの雌(ムギワラトンボとも呼ばれる。写真19)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は12,776でした。

閑話休題、『親鸞と道元』(平岡聡著、新潮新書)によって、3つのことを学ぶことができました。

第1は、親鸞の「他力本願」と、道元の「自力本願」についてです。

「親鸞と道元の仏教は、『他力vs。自力』という構図で比較されることがよくある。親鸞仏教は阿弥陀仏の絶対他力による救いを、また道元仏教は只管打坐の自力による悟りを目指すというように。親鸞仏教が他力の教えであることは言を俟たないが、道元仏教を単純に自力の教えとみなしてよいだろうか。・・・(『正法眼蔵』に照らせば)道元仏教においても、大前提となる基盤は『他力』だ。・・・親鸞仏教が『他力を基盤にした他力』なら、道元仏教は『他力を基盤にした自力』だ。道元仏教には修行の継続という点で『自力的要素』はたしかに存在するが、その場合の自力も『吾我の自力』ではなく『無我の自力』(それはもはや『自力』とは呼ばないかもしれないが)ということになる。だから親鸞と道元の仏教を、従来のように『他力vs。自力』と紋切型で特徴づけるのは、厳密には正しくない」。

「自己の心の奥底に沈殿する罪悪に絶望しきった親鸞は、法然との出逢いによって自己の仏教観を根底から覆し、法然仏教をさらに進化させて絶対他力の教えを確立した。一方、幼少期に母を失いながらも、その暗い影は微塵もみせず、禅仏教を極めようとした道元は、中国に留学して如浄と出逢い、只管打坐を継続して実践するという克己的な仏教を確立した。よって、二人の仏教は極めて対極にあるようにみえる。しかし、『宗教』という地平にまで降り立つと、二人は近接する」。因みに、道元の母・伊子(いし)は藤原基房の娘であるが、木曽義仲の正室となり、義仲が非業の死を遂げた後、源通親に嫁して道元を産んだのです。

第2は、ブッダの始めた仏教が、なぜ、これほど多くの宗派に分かれたのかについてです。

「鎌倉新仏教の祖師たちは、それぞれ個性的で独自の仏教を確立した。しかしその中でも、親鸞と道元はある点で他の祖師たちとは違う独自性を発揮した。従来の聖典解釈を大胆に変更した点だ。この変更には大きく分けて2つがある。1つは聖典の伝統的な読みを逸脱する『改読』、もう1つは伝統的な解釈を覆す『転釈』。この2つにより、親鸞と道元は伝統仏教の中から仏教の新たな価値を創造した」。

「地域性や時代性、それに文化の相違が仏教の多様性を生んだが、多様性の要因はそれだけではない。インド本国で仏教はすでに多様化していた。その要因こそ、聖典解釈の多義性だ。・・・(仏説が多種多様で矛盾している場合)ブッダが生きていれば彼に尋ねればすむが、その道が閉ざされたとき、『どの説がブッダの真意であるか』を、権威ある仏教思想家(たち)が決め、一貫した体系をつくっていかざるをえなかった。・・・仏滅後、ブッダの教えもさまざまに解釈され多様化した結果、教団の和合は破られ、複数の部派に分裂した」。

「浄土教が真実の教えなら、仏教の開祖ブッダの役割も従来の解釈とは違ってくる。浄土教の理解も仏教者によって異なるが、少なくとも親鸞は浄土教を『極悪なる最底辺の人間が救済される教え』と理解した。よってブッダの使命は、そのような人間の救済であり、たんなる衆生救済や衆生一般の救済ではなかった。ブッダは極悪人を救済するために、この世に出現したが、これこそがブッダの出世の本懐と親鸞は考えた」。

「親鸞に劣らず、道元も随所で伝統的な読みを自らの修行体験に基づいて改読し、斬新な解釈を展開する」。

第3は、法然と親鸞の仏教は、どこが違うのかについてです。

「法然は自力で悟ることを断念し、末世の人間にできるのは念仏だけであり、念仏往生が先決だと説いた。法然仏教で誤解されるのは、極楽往生が最終目的だとされる点だ。法然仏教も仏教であるかぎり、悟りをめざすのは当然であり、その意味で『極楽往生』は手段に過ぎない。極楽とは修行に適した場所であるから、往来を果たした後はそこで修行し、悟りを開き、そして衆生救済のために極楽を去らねばならない。ともかく、法然は大乗仏教で重視される菩提心も末法の衆生が発すのは不可能であると考えて一旦斥け(往生後には獲得されるので)、念仏最優先の仏教を確立した」。

「これを承けた親鸞も法然と同じ立場を取るが、親鸞は末法にふさわしい『教・行・証』を模索し、『教行信証』を著した。このほかにも、親鸞は法然が否定した菩提心も解釈しなおし、・・・『横超』こそが『阿弥陀仏の本眼力で回向された信心』であり、これが浄土教の菩提心とする。こうして菩提心の解釈を変えることで、法然が一旦は否定した菩提心を親鸞はふたたび浄土教的に甦らせた。このように、親鸞仏教は法然仏教とまったく同一ではないが、末法思想という大前提の上に成り立つことは間違いない」。

「親鸞は自己の救済(特殊)から万人の救済(普遍)へ、また末法という特殊な時代性から出発し、法然の念仏の教えを三時(正法・像法・末法)に通じる普遍的な教えに昇華させた。一方、道元は独自の時間論を展開し、無常なる一瞬という特殊な『今』に『永遠の今』という真理の普遍性をみいだした。つまり親鸞と道元は、特殊な事象を入口として普遍性を追求したことになる」。