榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

松尾芭蕉を、より深く理解するための一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2670)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年8月8日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2670)

ショウジョウトンボの雄(写真1)、コシアキトンボの雄(写真2、3)、オオシオカラトンボの雌(写真4)、シオカラトンボの雄(写真5、6)、雌(写真7)をカメラに収めました。キンギョの‘ワキン’、‘コメット’が泳いでいます(写真8)。

閑話休題、『伊賀の人・松尾芭蕉』(北村純一著、文春新書)は、松尾芭蕉を、より深く理解するための一冊です。

●芭蕉と木曽義仲
「<義仲の寝覚の山か月かなし>(義仲が真夜中に目を覚まし月を眺めた山かと思うと、月が何と物悲しく見えることよ)。芭蕉の出自である松尾家は、織田信長の伊賀攻めで殲滅された伊賀の地侍だった。当時は土豪懐柔策で無足人と言われる郷士だったが、いわば敗残者の一族である。源氏の敗残者たるこの義仲や義経に共感を抱いても不思議はない。芭蕉は義仲のお墓の隣に自分を埋葬するよう遺言した」。

「<むざんやな甲の下のきりぎりす>。この句は、『奥の細道』の旅で芭蕉が多太神社を訪れたときに詠まれた。句の背景には、斎藤別当実盛と義仲との戦がある」。

●芭蕉と明智光秀
「『奥の細道』の旅を終えた芭蕉が、伊勢の遷宮参詣の折、門人・島崎又玄宅に止宿した。・・・(又玄は)御師同業者間の競争に敗れて、困窮していた。それでも又玄の妻は精いっぱいもてなしたという。感激した芭蕉は、この夫婦を励まそうと次の句を贈った、<月さびよ明智が妻の咄しせん>(月よ、もっとさびれた味わいで照らしておくれ。健気な明智の妻の話をしようではないか)。その話とは、明智光秀が出世する前の伝説のことを指す。光秀には出世の手段でもある連歌会を催すお金がなくて、客人に膳の用意もままならない。健気な妻・熙子は、自分の黒髪を売ってその料とした。光秀は妻への報恩を心に決め、出世の後も終生妻へのいたわりを欠かなかったという」。

「芭蕉は、非業の死を遂げた木曽義仲や源義経などの判官びいきであったし、詩歌を愛した光秀だからその思い入れもなおさらだ。芭蕉が人々に愛される理由の一つが、秀吉ではなく光秀を詠んだ、この敗者への暖かい眼差しにある」。

●芭蕉と正岡子規、芥川龍之介
「(芭蕉を神と崇める人々がいる一方で)それは虚像であると異を唱える猛者たちが現れる。相手は俳聖・神様だが、勇気をもってけなした。まず正岡子規がその一人だ。芭蕉の句の過半を『悪句駄句』と論じた。芥川龍之介も『続芭蕉雑記』に『禅坊主は度たび褒める代りに貶す言葉を使うものである。・・・彼は実に日本の生んだ三百年前の大山師だった』と記す。たが、二人とも芭蕉を尊敬するファンだった。愛情の裏返しだ。事実、子規は芭蕉が他の追随を許さないのは雄渾豪壮さだと讃えてもいる」。

●芭蕉と虚構
「俳諧というのは『上手に迂詐(うそ)をつく事なり』。蕉門の論客・支考が書き留めた芭蕉の言葉だ。創作に必須の虚構を、あえて『うそ』と言って意表を突いた。そもそも創作とは独創的に表現することで、事実の羅列ではなく、虚実のないまぜによって、事実を超える高い芸術性を得ることをいう。芭蕉も事実を言葉に変える、単なる写生の徒ではない。恣意は嫌ったが、作意そのものは重んじた。より高い詩性を求め美しいうそをついたのだ」。

「作り事と解るような虚構ではない。事実を超えて、事実よりも生き生きとした感動を読み手に約束する、『詩的真実』がある。高い芸術性を求めて、推敲を重ねた芭蕉のたゆまざる精神力の賜といえる。芭蕉の力量は。この推敲に耐えられる精神力の強さの謂いなのだ。『奥の細道』にも好例がある。『奥の細道』は単なる旅日記ではない。フィクションやデフォルメにより、優れた芸術作品になっている」。