中国古典の香気漂う名文を味わおう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(480)】
猛暑の季節になると、東京・上野の東京国立博物館で見た久隅守景の「納涼屏風図」を思い出します。先ず、想像していた以上の大きさに驚きました。月の淡い光を浴びながら、庭先の瓢箪(夕顔)棚の下で寛いだ恰好で涼んでいる家族が抒情的に描かれていて、私の最も好きな作品の一つです。
閑話休題、『中国古典の名文集――あの名言・名句 四千年の叡智』(守屋洋著、プレジデント社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)からは、収められている中国古典の名文18篇の香気が漂ってきます。
私の好きな言葉、「士は己を知る者の為に用いられ、女は己を説(よろこ)ぶ者の為に容(かたち)づくる」が、司馬遷の「任安に奉ずる書(奉任安書)」の一節であることを知りました。「男は自分を理解してくれる相手のために命を投げ出し、女は自分を愛してくれる相手のために装う」と訳されています。
司馬遷が、匈奴の捕虜となった同僚・李陵を弁護したため、武帝の怒りを買い、宮刑(男性器を切り取る刑罰)に処せられることになった件も、この文章の中で言及されています。「私から見ても、李陵は信念をもった気骨のある人物でした。親に対しては孝、士には信義をもって交わり、金銭には淡泊で不正を憎み、人に対しては譲るべきところは譲り、すこぶる謙虚な態度で接していました。それでいて、わが身を顧みず国難に赴く気概を秘めており、まことに国士の風格があったように思います。人臣たる者、一身の利害を度外視し、死を覚悟して主家の危難に赴く、これだけでも見上げたことと言わなければなりません。しかるに、たった一回、こと志と違ったからといって、ひたすらわが身大事と心得ている輩が、あることないこと言いたてて陥れようとしているのは、情においてまことに忍びないものがありました」。
陶淵明の「帰去来の辞(帰去来辞)」には、中央での出世に見切りをつけ、故郷に帰ろうと決意した陶淵明の気持ちが綴られています。「帰去(かえ)りなんいざ、田園将(まさ)に蕪(あれ)なんとす。胡(なん)ぞ帰らざる。・・・帰去りなんいざ、請う交りを息(や)めて以って游(あそ)びを絶たん。世と我と相遺(わす)る、復(また)駕して言(ここ)に焉(なに)をか求めん。親戚の情話を悦(よろこ)び、琴書を楽しんで以って憂いを消す。・・・曷(なん)ぞ心に委ねて去留に任せざる。胡(なに)為(す)れぞ、遑々(こうこう)として何(いずく)にか之(ゆ)かんと欲する。富貴は吾が願いに非ず。帝郷は期すべからず。良辰(りょうしん)を懐(おも)いて以って孤(ひと)り往き、或は杖を植(た)てて転耔(うんし)す」。訳は、こうなっています。「さあ、帰ろう、故郷の田畑は荒れはてているにちがいない。早く帰ろう。・・・さあ、帰ろう。もう世間との交わりを絶ち、遊びもやめたい。私は世間を忘れ、世間も私を忘れる。私のほうから求めるものは何もない。ただ身内との心のこもった会話を楽しみ、琴や書物に親しんで憂さを晴らすのである。・・・この上は、自然にゆだねて心まかせに生きていきたい。なぜそんなにあたふたして、どこへ行こうというのか。富も地位も私の願いではない。仙郷も望もうとは思わない。せっかくのよい季節、独り歩きを楽しみ、ときには杖を立てて畑仕事のまねごとでもしてみよう」。
芭蕉の『奥の細道』の「月日は百(はく)代の過客(かかく)にして、行かふ年も又旅人也」という有名な書き出しや、西鶴の『日本永代蔵』の「されば天地は万物の逆旅(げきりょ)、光陰は百代の過客、浮生(ふせい)は夢幻といふ」という一節が、李白の「春夜桃李の園に宴するの序(春夜宴桃李園序)」の「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」という冒頭を下敷きにしたものであることを教えられました。
東京の小石川後楽園と岡山の後楽園の名称が、范仲淹の「岳陽楼の記(岳陽楼記)」の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という一節に因んで付けられたことを学びました。
中国古典の格調高い文章に触れると、背筋がぴんと伸びます。