本書によって、梅原猛の仏教観を知ることができた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2673)】
ナツアカネの雄(写真1、2)、ノシメトンボの雄(写真3)、コノシメトンボの雄(写真4~7)、雌(写真8、9)、オオシオカラトンボの雄(写真10)、雌(写真11)、アオイトトンボの雄(写真12)、ムラサキシジミ(写真13)、ルリシジミの雌(写真14)、ミンミンゼミの雄(写真15、16)をカメラの収めました。
閑話休題、私は若い頃、梅原猛の古代史論の熱烈なファンであったが、彼の仏教観については、ほとんど何も知ることなく今日に至っています。今回、手にした『梅原猛と仏教の思想』(菅原潤著、法藏館)によって、いろいろなことを学ぶことができました。
「密教の肯定的側面を評価する態度を取り続けることになる」。
<大乗仏教は、釈迦の教えを直接伝えていると称する小乗仏教の形骸化の批判から起こった。・・・久遠実成とは、『法華経』で語る釈迦が、けっして歴史的人物としての釈迦ではなくして、永遠不滅の法身仏としての釈迦であるという思想である>。
「梅原は道元について、和辻(哲郎)の著作で人格高潔な人物として描かれているためなかなか親しみがもてなかったものの、道元の血脈を知ってからは印象が大きく変わったと率直に告白している。<もし父が源通親、母がかつて(木曽)義仲の妾であった松殿基房の娘であるとしたら、道元は、複雑な家庭環境に生まれた子供であるといわねばならぬ。彼は、政治的な策謀と情欲がうずまく、宮廷政治の泥海の中から生まれたといえよう。その生まれゆえ、彼は、名利の欲や、愛欲に強い嫌悪をもったのではないか>」。
「梅原が和辻の仏教理解で不満があるのは、密教とりわけ、空海の思想に対する冷淡さである」。
「梅原理論の最大の魅力である『怨霊史観』が、『身内』の呉座(勇一)によって断罪されたというかたちになる」。
「梅原は、講座『仏教の思想』の親鸞の巻では、あえて親鸞自身の筆による『教行信証』のみを論じて、『歎異抄』の評価を留保していた。けれどもここに及んで梅原は、『歎異抄』というテクストそのものに難点があることを指摘する。・・・『歎異抄』のとりわけ『悪人正機説』が注目されることになるが、梅原は『悪人正機説』は確かに親鸞の思想の一部ではあるものの、中核ではないと言い切る」。
大乗仏教、とりわけ密教は、釈迦の教えから遠く隔たったものと考えている私と、大乗仏教、とりわけ密教を高く評価する梅原の思想とは相容れないことがはっきりしました。梅原が空海、法然、親鸞と同じように、情熱を持って釈迦にも迫ってくれればよかったのにと、詮方ない思いに囚われています。