榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本書のおかげで、ユーリー・ガガーリンに妙に親近感を覚えてしまいました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2684)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年8月22日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2684)

ナガサキアゲハの雄(写真1~4)、ガのセスジスズメの幼虫(写真5)、ハグロトンボの雄(写真6)、雌(写真7)に出会いました。クマゼミが鳴いている高木(写真8)の下で、かなり粘ったが、残念ながら撮影できず。アブラゼミ(写真9、10)、ダイサギ(写真11)をカメラに収めました。

閑話休題、『ロシアの星』(アンヌ=マリー・ルヴォル著、河野万里子訳、集英社)は、1961年に人類初の有人宇宙飛行に成功したユーリー・ガガーリンと、彼を巡る人々を描いた連作短篇小説集だが、本書のおかげで、ほとんど何も知らなかったガガーリンについて多くのことを学ぶことができました。

とりわけ興味深いのは、実在の人物が登場する「第一発見者――1961年4月12日 ソ連・サラトフ州・スメロフカ」と「遺された妻――1968年4月12日 ソ連・モスクワ州・シチョルコヴォ・星の街」です。

●第一発見者
「(孫の)リタと必死で逃げていたとき、怪物はこう叫びだした。『待って、待って、私はあなたがたの仲間です、同志の友人です! 同じソ連の人間です!』。恐怖にとらわれて、わたしは孫を先に逃がそうとした。・・・ふと、怪物はロシア語を話していると気がついた。わたしと同じように。わたしたちと同じように。・・・そして慎重にその男に近づいていった。ところがあと1メートルほどのところで、男が窒息しかかっているのに気がついたのだ。どうしようと思いながらもわたしは、男が鉢から顔を出せなくなっているのはファスナーのせいだと見てとり、開けるのを手伝った。あとでわたしは、その鉢が特殊なヘルメットで、与圧ヘルメット・・・とかなんとかいうものだと説明してもらった。・・・もしあのときわたしが手伝わなかったら、あの人は窒息死していただろう。吐いたものにまみれて・・・。もう少しましな死にかたがあるというものだ。男は顔も髪も汚れていたので、わたしは『このエプロンで拭いてください』と自分のエプロンを示した。あの人は気さくに従った。楽しげなほどだった。そしてまるで新品硬貨みたいにきれいさっぱりとなったとき、リタもわたしもショックを受けた。うれしいショックを。その人は、わたしがこれまでの人生で見たこともない、輝くばかりの、あふれるような笑顔を見せてくれたのだ。まるで天使の笑顔だった。それも生きている天使の・・・」。

「(信じられないようなニュースをラジオで聞いた)みんなに飛びかかられないうちに、わたしは彼を電話のところへ連れていった。彼は上層部に、何も壊れていないこと、わたしに助けられたこと、いまはスメロフカという村にいることを伝えた。・・・(彼は)とても親切だった。とても気さくでもあった。宇宙飛行の話をしても、自分のことは口にしなかった。何より『われわれチーム全体の成果です』と強調していた。その場にいたアダムとワシーリーが、写真を撮るのも許可してくれた。少しもいらだったりせずに、二人が機械の取り扱いに手間どっても。はるかな高みから眺めた景色はすばらしかったと、話してもくれた。息をのんだ、と。砂漠や氷河、畑、川、動物の群れ、海、森、火山――それらすべてが、偉大な芸術家たちの作品に勝るとも劣らない、抽象画のような美しさだった、と」。

「思ったとおり、わたしが帰宅したとたん、KGBの(6人の)男たちが踏みこんできた。・・・(私の話が)終わると、男は薄ら笑いを浮かべた。抜け目なさそうな笑いだった。そして額を圧しつけてくるのかと思うほど間近まで、わたしに顔を寄せると、わたしが世間に話すべきおとぎ話を、ひとことずつはっきり区切って覚えこませた。『わたしはリタと、ユーリー・アレクセーヴィチ・ガガーリンが、宇宙船から出てくるところを見ました』。また、ガガーリンはきれいな状態で楽々とヘルメットを脱ぎ、酔っぱらいのようにではなく、まっすぐしっかり歩いたということも証言しなくてはならないと、延々と言われた。『すべて完ぺきにおこなわれました』。そう言えと命令された」。

言われたとおりにしなければ強制労働収容所が待っていることを、この農婦は知っているのです。

●遺された妻
「ユーリー・ガガーリンの妻にして遺族となったワーリャの日記より―― 1968年3月28日(木)16時40分・・・昨日の朝、ユーリーが旅立った。永遠に。だがそうと知らされたのは、今日になってからだった。またしてもわたしは二の次の存在とみなされたのだ。(ガガーリンの上司の)カマーニンとその一派に。わたしに、わたしたちに降りかかったことが、うまく受けいれられない。頭に入らない。胸におさまらない。・・・『了解。実行します』――10時30分の無線連絡。これが、ユーリーが最後に発した言葉だったという。問題は、あの人たちが言うことのどこに真実があるのか、わからないこと。でも、いかにもユーリーの言葉らしい。命令実行や規律は、あの人の人生と切っても切れないものだった」。

「3月31日(日)22時15分・・・ユーリーの骨壺は、クレムリンを囲む壁のなかにおさめられた。・・・あまりにも怒りがわいて、集中できなかったのだ。誰もが競って賛辞やお世辞を並べたてたが、わたしは忘れてはいない。ユーリーが死んだのは、あなたたちの忘恩と利己主義のせいであることを。彼を失うことで、自分たちの威光を失うのを恐れた結果であることを。彼に、宇宙飛行士の同期生たちがどんどん飛び立つのを見ているしかないようにさせて、あなたたちは彼を傷つけ、侮辱し、うつろにした。無用な書類の山や『星の街』内部での対立、外国歴訪、カクテルや宴会や夜のパーティーなどに忙殺されて、ユーリーはなくしてしまったのだ。あんなにもすばらしかった反射神経を。宇宙飛行士としてもパイロットとしても秀でていた能力のすべてを。もっと訓練に時間をかけていたなら、墜落しかけたミグの体勢を立てなおして、助かったかもしれないのに。わたしはあなたたちを憎みます。全員、例外なく。・・・あと3、4百メートルのところで、棺台の担ぎ手が、軍人たちから党の幹部たちに交代した。レオニード・ブレジネフ、ニコライ・ポドゴルヌィ、アレクセイ・コスィギン、それにユーリー・アンドロポフ。偽善者たち。卑怯な人たち。手を貸すべきだったのは、彼が生きていたあいだだったのよ」。

「4月3日(水)22時・・・今日は一日、トイレに隠れては泣いていた。研究所でも、食堂でも、家でも。声をあげずに。涙が乾くと、苦しみに身をまかせた。恨みにも。・・・常軌を逸したあんな役を引き受けたことから、彼はどんな地獄に向かっていたのだろう。(7年前の打ちあげの前々日に内密に書かれた手紙の)どの行からも、ユーリーの人柄のすばらしさが感じられる。なんと素朴で思いやりがあって、完ぺきで、情熱的で、誇り高く勇敢で、やさしい人だったことか。なんと申し分のない男性(ひと)だったことか。周囲が何と言おうと、あなたのかわりになれる人なんて誰もいない。ね、聞こえる? 誰もいないのよ・・・。大事な、大事なあなた」。

ワーリャは、「ソ連邦英雄」ガガーリンではなく、「よき夫」ガガーリンを愛し、誇りにしていたことが伝わってきます。それだけに、9歳と7歳の娘を遺され、34歳という若さのガガーリンを喪った哀しみは、想像に余りあるものがあります。

本書のおかげで、ガガーリンに妙に親近感を覚えてしまいました。