大久保利通は、果たして、「羊飼いとしての指導者」なのだろうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2695)】
アゲハチョウ(写真1~3)、ツマグロヒョウモンの雄(写真4~6)、雌(写真7、8)、ルリシジミの雌(写真9)、イチモンジセセリ(写真10~12)をカメラに収めました。
閑話休題、『大久保利通――「知」を結ぶ指導者』(瀧井一博著、新潮選書)の大久保利通は、従来のイメージ――強力なリーダーシップで明治国家の基本骨格を創り上げた冷酷なリアリスト――とは大きく異なる、「羊飼いとしての指導者」です。
「(ネルソン・)マンデラによれば、指導者とは前衛に立って人々を引っ張っていく存在というよりも、むしろ群れの後ろに付き従って、群れの行き先を見通しながら、彼らを束ねていくべきものなのである。大久保の指導力というのも、羊飼いとしてのそれだったとはいえないか。人々のしんがりに位置しながら国の行くべき先を展望し、国内の様々な社会的政治的要請を汲み取って、あるべき方向へと国民的諸勢力の水路付けを行った政治家だった、と」。
著者の結論は、こうまとめることができるでしょう。「大久保は決して、強権的なリーダーシップでもって果断に国家経営を行おうとしたのではなく、むしろ人々を結び合わせ、その連結のなかから国民国家というものを立ち上げようとした。そのようにして人々を結び合わせようとするための媒体が『知識』であった。知識が交流し合う公明な政治を大久保は希求し、そのために権力を行使しようとした」。
著者の言う「知識」とは、いかなるものでしょうか。「彼が知ないし知識の機能というものをまさに弁えていたと目されるからである。知の機能とは何か。本書はそれを、地縁や血縁といった直接的な人間関係とは異なる、人と人との新しいつながりを生み出すものと捉えたい。大久保は知を通じてのネットワークの形成に並々ならぬ関心を寄せ、そのようなネットワークから編み出された、知識の交換と交流を成り立たせるためのフォーラムを作ることに腐心していたというのが、筆者の見立てである。大久保にとって国家とは、そのようなネットワークであり、フォーラムだった」。
著者が、このような大久保像を描き出したのには、小幡圭祐や松沢裕作の「従来自明のこととされてきた大久保の省内統制と政策への関与の実態の再検討」が必要という大久保見直し論が影響しているようです。
この意味で本書は、大久保に関心を持つ者にとっては欠かせない一冊であるが、正直言って、私は著者の見立てはいささか無理があると考えています。
個人的に興味深いのは、佐佐木高行の伝える岩倉具視の大久保評です。「佐佐木によれば、岩倉は木戸(孝允)と大久保を対照させて、次のように述べたという。<木戸は先見あるも、すねて不平を鳴らし、表面に議論をせず、陰に局外の者へ何角(なにかと)不平咄をなすは木戸の弊なり。大久保は才なし、史記なし、只確乎と動かぬが長所なり>。すなわち、木戸は卓抜した識見はあるが、不平家で、裏で色々と画策する難があるという。これに対し、大久保には才知が無いが、物事に動じないのが長所だとされる。これを受けて、佐佐木も『大久保は無知で文才も無く、自分だけでは何も確かなことを述べることはできない』と応じている。このように、同時代においても、大久保は決して才気煥発で、知性溢れる人物と見なされていたわけではない。この点、知略に富んだ木戸や自ら洋書を読み新しい知識を吸収するのに貪欲だった伊藤(博文)とは相違がある」。