榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

富くじ、飲食、賭け事、色街通い、寄席、歌舞伎、祭り、開帳――大江戸は楽しみが溢れていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2706)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年9月13日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2706)

セッカ(写真1)、スズメ(写真2、3)、ダイサギ(写真4、5)をカメラに収めました。モンシロチョウの交尾を目撃しました(写真6~10の黄色いほうが雌)。アオドウガネ(写真11)、コアオハナムグリ(写真12、13)に出会いました。紅葉したホソバヒメミソハギ(写真14、15)が目を惹きます。因みに、本日の歩数は11,998でした。

閑話休題、『大江戸の娯楽裏事情――庶民も大奥も大興奮!』(安藤優一郎著、朝日新書)の著者は、百万都市の大江戸では誰も彼もが、富くじ、飲食、賭け事、色街通い、寄席、歌舞伎、祭り、開帳などを楽しみ尽くしていたというのです。

「(日々の稼ぎは)生活費に使った後は娯楽・遊興に注ぎ込んでしまうのがお決まりのパターンだった。そんな消費行動が宵越しの銭は持たないという、負け惜しみのフレーズを生む。頻発する火事のため、一夜にして家財すべてを失う恐れがあったことも大きな理由だろう。個々の宵越しの銭は少額である。しかし、百万都市の過半を占めた庶民たちが注ぎ込んだ小銭を総額で見れば、江戸の消費経済を動かす巨大な力になり得たはずだ。経済を活性化させ、ひいては大江戸の繁栄を支える原動力となったと考えても、あながち間違っていないだろう。・・・いわゆる鎖国のため内需依存の閉じられた社会を強いられた江戸時代、人々が魏楽・遊興に使った金銭が経済の活性化に果たした役割は大きかった」。

「『大当たり!』江戸の宝くじ――人気過熱の富興行」、「粋な男女で寄席と歌舞伎は大賑わい――寄席七百、芝居小屋二十」、「大奥も大喜び、江戸の祭り――状軍様も楽しんだ非日常空間」、「開帳という大規模イベントの裏表――成功と失敗の法則」の各章も面白いが、とりわけ興味深いのは、「『飲む・打つ・買う』の泣き笑い――歓楽街に咲いた、あだ花」の章の「買う」を扱った部分です。

「賭博の場合と同じく、幕府は遊女商売についても御法度とするスタンスを取った。だが、例外が一つあった。吉原である。江戸では吉原にのみ商売を認め、吉原以外での遊女商売は一切禁止したが、その原則は実際にはまったく守られていなかった。禁令の網をかいくぐった非合法な遊女たちの姿が江戸の各所でみられ、吉原の利権を大いに脅かした。当然、吉原は生き残りを賭けた営業活動を展開していく。集客アップのために企画したイベントと言えば、春の花見、夏の玉菊燈籠、秋の俄が代表格である。その当日、吉原は大賑わいとなった」。

「吉原以外で遊女商売は営めなかったはずだが、寺社の門前や江戸四宿(千住、板橋、内藤新塾、品川)などでは半ば公然と遊女商売が行われていた。料理茶屋や水茶屋・煮売茶屋、あるいは旅籠屋の看板を揚げつつ、給仕する女性を遊女として働かせていたのである。このような非合法な遊女商売が行われた場所を人々は、岡場所と呼んだ。・・・幕府公認の吉原の遊女が『公娼』と呼ばれたのに対し、非公認だった岡場所の遊女は『隠遊女』『私娼』などと呼ばれた。遊客にとり、岡場所の魅力とは何と言っても揚げ代の安さに尽きるだろう。・・・門前に岡場所があるのは好ましくなかったが、当の寺社は見て見ぬふりをしていた。岡場所が境内の賑わいを増したことに加え、遊女屋という裏の顔を持つ料理茶屋などから多額の冥加金が納められていたからである。・・・江戸四宿で遊女商売がなぜ横行したのか。その根本的な理由は幕府が旅籠屋に飯盛女を置くのを認めたことにある。飯盛女の仕事は表向き宿泊客に御飯を盛ることだが、裏では遊女として働くのを幕府は黙認していた」。

「吉原が力を入れたのは、イベントだけではなかった。メディア戦略も展開している」。このメディア戦略の仕掛け人として大成功したのが、吉原出身の蔦屋重三郎だったのです。