小説という形を借りて、著者・乗代雄介自身の文学論が展開されている・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2737)】
メスグロヒョウモンの雌(写真1~3)、ツマグロヒョウモンの雌(写真4)、キタテハ(写真5)、ヒメジャノメ(写真6)、アオマツムシの雌(写真7)をカメラに収めました。腐生植物のギンリョウソウ(写真8、9)、スイフヨウ(写真10~14)が咲いています。ウラシマソウ(写真15)が実を付けています。因みに、本日の歩数は11,341でした。
閑話休題、短篇集『本物の読書家』(乗代雄介著、講談社文庫)に収められている『本物の読書家』と『未熟な同感者』では、小説という形を借りて、著者・乗代雄介自身の文学論が展開されています。文学論が好きな人、乗代という作家が好きな人には堪らない作品でしょう。
例えば、『未熟な共感者』には、こういう一節があります。
「宮沢賢治と同時代を生きた人間にフランツ・カフカがいる。カフカは1883年に生まれて1924年に結核で死んだ。宮沢賢治は1896年に生まれ、1933年に結核で死んだ。二人には死因のほかにも共通点がある。大量に書き、遺稿が残され、評価を得たこと。他にも、家の裕福、病身、菜食、結婚への忌避、ビジネスへの興味、父と宗教、妹愛、自然愛、死後の聖人化、奇妙なほどたくさんの共通点だが、こんなことは同感者の証拠にはならない。しかし、彼らが多くの作品を完成させることができなかったという創作態度に限って、つまり『適正な言葉』を求める仕方という意味において、仮に『同感者』と置くことならばできるかもしれない。それでもやはり、その『同感』には何の根拠もない」。
「ここで、書く者の態度についての意見を二つ、実質一つ紹介する。1907年の日本(の夏目漱石)と、1814年のチェコスロヴァキアで、(カフカによって)書かれた文章だ」として、漱石とカフカの文章が引用されています。カフカの日記の一節が目を惹きます。<(ぼくの)最上の作品のなかの、すぐれた、非常に説得的な文章がつねに目ざしているのは、次のようなことなのだ。すなわち、登場人物が死ぬが、それは彼にとって非常に辛いものになるので、そこに彼にとっての不当さ、少なくとも無情というものが生じ、その結果、少なくともぼくの考えでは、その死が読者を動かすようになる、ということ。しかし臨終の床で満足していられると信じているぼくにとっては、こういう叙述は、密かに言うが一つのゲームなのだ。なぜならぼくは、死んで行く人物のなかに入ってすら喜んで死ぬが、そのことによって計算しながら、死へ集中された読者の注意を、とことんまで利用するからだ。だからぼく自身は、臨終の床で嘆くというふうにぼくが設定している人物よりも、はるかに明晰な意識を持っている。そしてそれゆえにこそ、ぼくの嘆きは可能なかぎり完全なものなのであり、現実の嘆きのように、いわば突然途切れてしまうのでなく、美しく澄みきって流れて行くのだ>。
このカフカの告白には、非常に驚かされました。なぜなら、カフカは読者を驚かせ、惑わせることに生きがいを感じていた生粋のトリックスターだったと、私は睨んでいるからです。