榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

死は物質の離散にすぎない・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2746)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年10月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2746)

クロコノマチョウ(写真1、2)、キタテハ(写真3、4)、ヒカゲチョウ(写真5)、ヒメウラナミジャノメ(写真6、7)、ウラギンシジミの雌(写真8)、ヤマトシジミの雄(写真9)、雌(写真10)、ガのホシヒメホウジャク(写真11)をカメラに収めました。クリ(写真12)の実が落ちています。黄葉したカツラ(写真13、14)が甘い香りを放っています。因みに、本日の歩数は11,234でした。

閑話休題、『悩んだら、先人に聞け!――センター倫理で日常の思考の型を学ぶ』(相澤理著、笠間書院)は、2021年から大学入試共通テストに移行した、センター試験における「倫理」の問題を教材にして、先人の言葉に触れようという試みです。

個人的に、とりわけ興味深いのは、「死は物質の離散にすぎない」です。「(中江)兆民は晩年に医師から食道がんと診断され、余命一年半と宣告されます。その死の床で己と向き合いながら著したのが、『一年有半』と『続一年有半』です。日本にない『哲学』を自ら実践してみせたとも言えるでしょう。兆民が自らの死をどう受け止め、乗り越えようとしたのか、その痕跡です。・・・兆民は唯物論の立場から死について考えました。西洋思想において唯物論の起源とされるのが、古代ギリシアの哲学者デモクリトスです。デモクリトスは、空虚(ケノン)である世界の中を、それ以上分割できない原子(アトム)が動き回り、結合したり分離したりすることで万物は生成されると考えました。この立場から、生死はどのように捉えられるでしょうか? 原子が集まって身体ができると生成が宿り、逆に原子が散り散りになって身体がなくなると死にいたる。だとすれば、死はたんに原子が離散しただけと捉えることができます。実際にそのように捉えて死を克服しようとしたのが兆民でした」。

「デモクリトスの原子論をもとに死を恐るるに足らずと考えたのが、快楽主義の哲学を説いたエピクロスです。エビクロスが求める快楽とは、刹那的で感覚的なものではなく、不安や苦痛のない永遠の安らぎの境地(アタラクシア)でした。それゆえ、死の恐怖の克服も課題だったのです。・・・<人間、生きている間に死ぬなんてことはないし、死んでしまえば空中のチリみたいなものさ。何も考えられなくなるだけの話じゃないか>」。

「兆民は、唯物論の立場から、死とは原子が散り散りになって身体がなくなるだけで、霊魂は不滅ではない。だから、死後の安心(あんじん)など考える必要はないと考えました。私にとって死後の世界などない、それだけなのです」。

私は、エピクロスの死の捉え方を知った時に、長年、悩みの種であった死の恐怖から解放されました。デモクリトスやエピクロスのことは知っていたが、兆民の死に対する考え方は本書で初めて知りました。