スピノザは死、神をどう考えていたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3115)】
ツチイナゴ(写真1)、クロコノマチョウ(写真2)、ヒカゲチョウ(写真3)、キタテハ(写真4)、ツマグロヒョウモンの雄(写真5)をカメラに収めました。ソバ‘高嶺ルビーNeo ’(写真6~8)は赤い絨毯を敷き詰めたようです。ホトトギス属の一種(写真9~11)が咲いています。我が家の庭の片隅でも、ホトトギス属の一種(写真12)がひっそりと咲いています。
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閑話休題、『スピノザ エチカ』(國分功一郎著、NHK出版・NHK 100分de名著)では、國分功一郎がベネディクトゥス・デ・スピノザの『エチカ』で論じられている善悪、本質、自由、真理について解説しています。
私が一番知りたいのは、スピノザは死をどう考えていたのか、神の存在を信じていたのか――の2点です。
●死
「本質を力としてとらえるスピノザ哲学からはどのような死の概念が導き出せるのか。スピノザは次のように述べています。<人間身体は死骸に変化する場合に限って死んだのだと認めなければならぬいかなる理由も存しない>。いわゆる死、私が死骸になる死というのは、私の本質を支えていた諸々の部分の関係が変化し、別物になってしまうということです。ですが、そのような変化は死骸になる時にだけ起こることではないとスピノザは言っている」。
記憶喪失のケースや、子供が成長して大人になる場合も、本質が以前とは異なっているのだから、それはある意味で、一度死んでいると考えられるとスピノザは述べているが、正直言って、少々切れ味が悪いですね。
●神
「生前に匿名で出版した『神学・政治論』が無神論の書として取りざたされたため、スピノザはずっと危険思想家として扱われることになります。死後もスピノザへの攻撃は続きました」。
「すべてが神の中にあり、神がすべてを包み込んでいるとしたら、神はつまり宇宙のような存在だということになるはずです。実際、スピノザは神を自然と同一視しました。これを『神即自然』といいます」。
「神という言葉を聞くと、宗教的なものを思い起こしてしまうことが多いと思います。ですが、スピノザの『神即自然』の考え方はむしろ自然科学的です。宇宙のような存在を神と呼んでいるのです。このような神の概念は、意志を持って人間に裁きを下す神というイメージには合致しません。彼の思想が無神論と言われた理由はここにあります。・・・教会権力が政治権力に勝るとも劣らぬ力を持っていた時代において、スピノザの考え方は人々に受け入れがたいものでした。別の言い方をすれば、非常に先進的であったわけです」。
当時にあっては、スピノザにとって、これ以上の言い方は難しかったのでしょうね。