森に住む狩猟採集民の生き方が、私たちに「別の生の可能性」を提示してくれるのではないか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3110)
急に泳ぎたくなり、十数年ぶりに近くのプールを訪れました。かつては毎回、クロールで休まず2000m泳いでいたのに、200mで疲れてしまいました(涙)。オオスズメバチ(写真1)、コガタスズメバチ(写真2、3)、ハラビロカマキリ(写真4)、ツツドリの幼鳥(写真5)をカメラに収めました。クスノキ(写真6、7)が紅葉しています。カキ(写真8)、ハナミズキ(写真9)、トキワサンザシ(写真10)が実を付けています。2週間分の「読みたい本」たち(写真11)が、自分から先に読んでほしいとアピールしています。ここで、クイズです。同じタイトルの本が2冊交じっているが、その本とは?
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閑話休題、『人類学者と言語学者が森に入って考えたこと』(奥野克巳・伊藤雄馬著、教育評論社)は、ボルネオ島のプナンという森に住む狩猟採集民を調査対象にしている人類学者・奥村克巳と、タイ・ラオスのムラブリという森に住む狩猟採集民を調査対象にしている言語学者・伊藤雄馬との共著です。
奥野と伊藤は、「プナンやムラブリの『森に住まう狩猟採集民の生き方』が、私たちに『別の生の可能性』を提示してくれるのではないか」と考えたのです。
二人が一番言いたかったことは、こういうことかもしれません。「われわれはすり鉢状の現実を生きています。一つの世界理解として。すり鉢のような世界に住んでいると理解してみましょう。すり鉢の形なんだけれども、上部は、もうちょっと開口部に向かって、平面が湾曲してせり出している。誰もが底のほうから上のほうに向かって努力して登っていくイメージです。底のほうからどんどんと登って行くのですが、上に行けば行くほど角度が付いていてたいへんになる。でもなんとかてっぺんにたどり着くと、そこはせり出して反転していて、なんとかしがみつこうとするのだけれども、重力が働いて、落っこちてしまうことがある。・・・すり鉢状の世界の住人である人は、器の上のほうを見ながら日々を過ごしていて、自分はそこに行けたはずだったのが、なかなか行けてなくて、底辺近くにすべり落ちてしまっているという感覚に苛まれているんです。一番下のところから這い上がって、上のほうの、開口部近くにたどり着いたはずなのに、実際にはたどり着いておらず、そこから落っこちて、もがき苦しんでいる。これまでの努力に見合った地位や評価が得られてない。いるのは上のほうなんだけど、重力の関係で、下に落ちてしまっていると感じている。つまり、すり鉢状の世界の上のほうにいるというのはその人にとっては『幻』なんです。現実にたどり着いたと思ったら、たどり着けていないという」。
「で、問題はここからです。現実であれ幻であれ、その人は、すり鉢状の世界の内側で自己完結してしまっているんです。その外部を知らない。その外部がどうなっているのかは想像することすらない。外部にいったん逃れてみることで、われわれは何か別の可能性に気付くのではないかという想像力を持つことはない。すり鉢状の世界の内部から飛び出して、例えばプナンと接してみると、『こんなんでも生きていける』と感じる。ムラブリもそうでしょうけれども、こんなんでも生きていけると思えたりする」。
「『こんなん』ですか! こんなんというのはつまり、何の努力もせずに、ということです。いつもだらだらしていて、それでもなお生きていけるんです。悩みのようなものもほぼない。プナンは大体そうなんです。プナンは、いつも下ネタ、集まるとエロ話ばっかり話していて、こんなんでよく食っていけるなあと感じる。今回(2023年2月)もアナウンサーの吉田さんと内藤さんとプナンを訪ねて、彼らが口をそろえて言ってたのは、『こんなんでも生きてけるんだ』。われわれの世界には外部がある。われわれはすり鉢状になっている世界で、上のほうに行ったら行ったでせっせとその場をキープするのに必死になり、あるいは上のほうに行ったんだけど、その実感が湧かなかったりするというだけで、すり鉢状の外側に広がっている世界もあるということをなかなか想像できない」。
「ただ、すり鉢の開口部にたどり着かなくても、勇気を出して、底の部分からぽ~んと勢いよく飛び出してみる。すり鉢状の世界の向こう側に行ってみると、そこには、見た目は自分たちとそれ程違わないけど、圧倒的な他者であるムラブリとかプナンがいるんです、多分。それが外部なんです」。
底の部分からぽ~んと勢いよく飛び出してみるか、と思わせる、説得力のある一冊です。