森の中の独り暮らしの記録『森の生活』が、出版当時から現在まで広く読まれてきた理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3301)】
キジの雄(写真1)、ヒバリ(写真2~4)をカメラに収めました。クルメツツジ(キリシマツツジ。写真5、6)、ドウダンツツジ(写真7、8)、キンラン(写真9~12)、ナガミヒナゲシ(写真13)が咲いています。我が家の庭師(女房)から、シロバナコバノタツナミ(写真15)が咲いているわよ、との報告あり。
閑話休題、19世紀に書かれた『森の生活――ウォールデン』(ヘンリー・デーヴィッド・ソーロー著、神吉三郎訳、岩波文庫)が当時から現在に至るまで広く読まれてきたのはなぜかが気になったので、書棚から引っ張り出してきました。
34年ぶりに再読して、本書が読まれてきた理由に思い当たりました。ヘンリー・デーヴィッド・ソーローのように湖畔の森の中で独り暮らしをしたいと思う人、そして、したいと思うが実際には実行できない人が多いということでしょう。
ソーローは、1845年7月4日から2年2カ月間、自分の住んでいた町から1マイル半(2.4km)のウォールデン池の畔の森の中に自分の手で建てた丸木小屋で自給自足の生活を送ります。四季の移り変わり、動植物の生態、隣人たちとの交流、読書と思索などが綴られています。その後、ソーローは通常の生活に戻っています。
今回読み直して感じたのは、ソーローというのは真面目ではあるが、かなり理屈っぽい人物だなということです。この点は、私に似ているかもしれません。
「読書」の章に印象に残る箇所が2つありました。古典を読むべきという指摘と、「われわれはアベラールのような学者を得て講義をしてもらうことができないだろうか」という一節です。このアベラールというのは、往復書簡集『エロイーズとアベラール』で知られる中世フランスの論理学者、ピエール・アベラールのことなので、ソーローが広く古典に親しんでいたことが窺われます。