蔦屋重三郎が見出した東洲斎写楽とは誰か、その正体が隠されたのはなぜか、写楽が10カ月で忽然と姿を消したのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3573)】
【読書の森 2025年1月15日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3573)
ルリビタキの雌(写真1、2)、ツグミ(写真3)、シロハラ(写真4、5)、ヒヨドリ(写真6)、カワウ(写真7)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は15,132でした。
閑話休題、『蔦屋重三郎――江戸の反骨メディア王』(増田晶文著、新潮選書)は、蔦屋重三郎の全体像を知るのに最適な一冊です。
●貸本屋から「吉原細見」の独占出版へ→●江戸っ子を熱狂させた「狂歌」ブーム→●エンタメ本「黄表紙」で大ヒット連発→●絶頂の「田沼時代」から受難の「寛政の改革」へ→●歌麿の「美人画」で怒濤の反転攻勢→●京伝と馬琴を橋渡し、北斎にも注目→●最後の大勝負・写楽の「役者絵」プロジェクト――が実証的に辿られています。
著者は、重三郎は「パブリッシャー」、「エディター」、「プランナー」、「ディレクター」、「プロデューサー」、「スカウト」、「パトロン」、「デベロッパー」という多彩な役割を見事にこなした稀有な人物だと高く評価しています。しかしながら、最後に勝負に打って出た写楽プロジェクトは「重三郎の読み間違い」だったと厳しい判定を下しています。
個人的に、とりわけ興味深いのは、重三郎が見出した東洲斎写楽とは誰か、その正体が隠されたのはなぜか、そして、写楽が10カ月で忽然と姿を消したのはなぜか――が明らかにされていることです。田沼意次の時代が続いていたら、違う結果になっていたことでしょう。
それにしても、重三郎が脚気のため47歳で亡くならず、もう少し命を長らえていたらと思わずにおられません。