ルクレツィア・ボルジアは、本当に淫乱な美女だったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3652)】
【読書の森 2025年4月3日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3652)
我が家の近隣の公園の雨中のソメイヨシノ。
閑話休題、『スケープゴートが変えた世界史――ネロ、ルクレツィア・ボルジアからカトリーヌ・ド・メディシス(上)』(ヴァンサン・モテ著、太田佐絵子訳、原書房)で、個人的に、とりわけ興味深いのは、「ルクレツィア・ボルジア――天使か、悪魔か」の章です。なお、本書の表紙はルクレツィア・ボルジアの肖像画です。
ルクレツィアには淫乱な美女、結婚するたびに夫に不幸をもたらす冷酷で強欲な悪女というイメージがまとわりついているが、実際は、父の教皇アレクサンデル6世と、兄チェーザレ・ボルジアの権力欲から次々と政略結婚を強いられた犠牲者であったことが明らかにされています。
3度目の結婚の相手、アルフォンソ・デステ公爵との間には7人の子を儲けるなど、愛情の籠もった幸せな生活を送ることができたこと、領地の行政運営に実力を発揮したこと、自分の財産を投じて公国の貧窮者救済を行ったこと、信仰心が篤かったこと――も記されています。
彼女の美貌については、「ブロンドの髪が肩にかかって波打っていた。整った顔立ち、顔の色つや、澄んだ瞳は人目を引いた」とあるので、真実だったのでしょう。
産褥熱のため、39歳で世を去りました。
彼女の悪評が流布されたのは、父や兄の敵たちの仕業だったのです。