中国皇帝の4分の3は非漢人だった、中国は異民族に支配され続けた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3693)】
さまざまな色合いのバラが芳香を放っています。
閑話休題、『歴史から観る中国の正体』(宮脇淳子著、徳間書店)のおかげで、中国の歴史に関し、多くのことを学ぶことができました。
●中国皇帝の4分の3は非漢人――異民族に支配され続けた中国
著者は、中国史を3つの時代に分けている。
① 漢族の時代=秦の始皇帝から、漢・三国・晋・南北朝を経て、589年に隋の文帝が天下を統一するまで
② 北族の時代=隋・唐・五代・宋を経て、1276年、元のフビライ・ハーンが南宋を滅ぼして天下を統一するまで
③ 新北族の時代=元・明・清の時代で、1912年に清の宣統帝が退位するまで
紀元前221年から1912年まで、漢人が皇帝だった期間の長さと、皇帝が非漢人だとはっきり分かる期間の長さを比べると、4分の3が非漢人の皇帝の時代である。
●漢人は東夷・西戎・南蛮・北狄の子孫
漢人(中国人)は、そもそも歴史の始まりから、血統や生業や言語を同じくする民族であったことはなく、洛陽盆地の中華の周辺にいた東夷・西戎・南蛮・北狄の諸種族が接触・混合して形成した都市の住民のことだった。初めは各集団によって、漢字の字体や読み方は異なっていたが、シナの語源となった秦の始皇帝が統一した。始皇帝の焚書は、文化破壊ではなく、漢字の標準化だった。
●朱子学は新儒教――仏教に対抗して宇宙観を生み出す
宋代には禅が人々の間に普及した。科挙に受かるために儒教経典の知識を身に付けた士大夫層は、仏教と対抗するために、思索を深化せざるを得なかった。そこで、朱熹が、それまでの思想を総合的に体系化して、宇宙哲学として完成させたわけである。
●三国志魏志倭人伝――邪馬台国の位置の謎
邪馬台国の女王・卑弥呼が親魏倭王の称号を魏から贈られる10年前の229年、大月氏王・波調の使いが魏を訪れ、親魏大月氏王の称号を贈られた。大月氏国は洛陽から一万六千三百七十里に位置していた。波調を招いたのは、魏の西方担当の曹真で、卑弥呼を招いたのは、曹真のライヴァルである魏の将軍・司馬懿だった。司馬懿の孫が建国した晋に仕えた陳寿は、司馬懿の面子を立てるため、邪馬台国への距離を大月氏国への距離とほぼ同じになるように、帯方郡より一万二千余里と魏志倭人伝に記したのである。
宮脇淳子の説は、師であり夫である東洋史学者・岡田英弘の学説に拠っているが、あの世の岡田は妻の奮闘ぶりを喜んでいることでしょう。
因みに、読書家として知られる丹羽宇一郎が棋士・藤井聡太に、岡田著の『歴史とはなにか』を読むよう勧めています。