わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3756)】
サシバの雛が巣立ち、巣には姿なし(写真1)。ツミの雄(写真2、3)、その雛(写真4~8)、オナガ(写真9)、ルリタテハ(写真10~13)をカメラに収めました。ヤマユリ(写真14~16)、ヤブカンゾウ(写真17、18)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,711でした。
閑話休題、『人生後半にこそ読みたい秀歌』(永田和宏著、朝日新聞出版)には、人生の後半の後半を辿っている私にとって身に沁みる短歌がたくさん収録されています。
<嗚呼さびし憧憬事(あこがれごと)もさだ過ぎてうづくごとくは甦(かへ)りきたらず>――宮柊二
<誰かひとりくらいは来てもよさそうなひとり暮しの夕ぐれである>――石田比呂志
<亡き人をあしざまに言ふを聞きをればわが死のあとのはかり知られず>――大西民子
<処女にて身に深く持つ浄(きよ)き卵(らん)秋の日吾の心熱くす>――富小路禎子
<「空きを待つ」その空きの意味思いけり特別養護老人ホーム>――小山年男
<もゆる限りはひとに与へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず>――中城ふみ子
<死はそこに抗ひがたく立つゆえに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ>――上田三四二
<この家に君との時間はどれくらゐ残つてゐるか梁(はり)よ答へよ>――河野裕子
とりわけ心に響いたのは、愛する妻・河野裕子を亡くした永田和宏の<わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ>です。死者は生者の記憶のなかにしか生きられない、その意味では、死者は、その人を覚えてくれている人間が生きて思いだしてやっている限りは、ほんとうには死んでいない、その覚えてくれている人が死ぬときに、死者は「ほんたうに死ぬ」のではないか、だから残された人間は、死者を生かしておくためにも、生き続けなければならない――というのです。私も、愛する人を思い続ける私が生きている限り、愛する人は私の心の中で生き続けると考えています。逆のケース、私が先に死んだ場合も、そうであるといいのですが。