俵万智の短歌評は、恋愛至上主義者の香りがする・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1402)】
真夜中のスーパームーンは、これまで見たことのない大きなものでした。双眼鏡を覗いていた女房が、見たことのない鳥よと囁くので、慌ててシャッターを切りました。シメの雌をカメラに収めることができました。春風に誘(いざな)われ、カワヅザクラが咲き始めました。花鳥風月を愛でる一日となりました。因みに、本日の歩数は15,349でした。
閑話休題、私が俵万智の短歌と短歌評に惹かれるのは、人生の最上位に恋を置く恋愛至上主義者という共通項のせいでしょう。この意味で、『あなたと読む恋の歌百首』(俵万智著、文春文庫)は、溜め息が漏れるほど、堪らない一冊です。
●全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ(道浦母都子)。「こんなにも満たされきった恋愛の歌は、初めてだと思った。最も充実した瞬間を、堂々と歌いあげている」。
●いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり(浅井和代)。「今、自分が一人でいるということ。それは、どんな人とも二人になることができる可能性を秘めた状態なのだ。そして今、自分が二人でいるとしたら、それはやがてくる別れを含んだ状態である。人の心も生命も永遠ではないのだから・・・」。
●指からめあふとき風の谿(たに)は見ゆ ひざのちからを抜いてごらんよ(大辻隆弘)。「セックスそのもの、まさにそのときを歌って、優しく、美しい。まれに見る例だと思う。ここにあるのは、エロティシズム、というのとは別の魅力だ。・・・『ひざのちからを抜いてごらんよ』――いざなう男の声が、そのままふっと下の句に宿った。この言葉から、まだ少し緊張していてぎこちない、女性の初々しい様子が、的確に伝わってくる。と同時に、彼女をいとおしみ包みこむような、男性の優しい息づかいが伝わってくる」。
●一度にわれを咲かせるようにくちづけるベンチに厚き本を落として(梅内美華子)。「長い長い冬のあと、いっせいに競うように、花たちは咲きはじめる。そんなふうに、からだの隅々まで、そして心の隅々まで、私の中にあるつぼみを、一気に開かせる若者の唇・・・その、少し性急なくちづけを、上の句は確かな瞬間として受けとめている。実感のこもった、ユニークで美しい比喩だ」。
●わがおもふをとめこよひは遠くゐて人とあひ寝るさ夜ふけにけり(岡野弘彦)。「自分が心を寄せている女性は、今夜遠く離れた場所にいて、しかも別の男と一夜をともにしている・・・。じっとその夜を噛みしめるようにして、作者は起きているのだろう。『さ夜ふけにけり』というシンプルな言葉が、こんなにも悲しく深く響いてくる歌を、私はほかに知らない。言葉が取り乱していないぶん、読む者は想像力を刺激される。この静かさの底に広がる、闇のような苦い思い」。
●文明がひとつ滅びる物語しつつおまえの翅(はね)脱がせゆく(谷岡亜紀)。「『翅脱がせゆく』という言葉が、エロティックで美しい。薄く透けるようなアンダーウェアを剥ぐことの比喩であり、また彼女の自由を奪う意味でもあるのだろう」。
●たとへば君、ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(河野裕子)。「(さらう、は)この恋愛に寄せる決意と責任感とが試される言葉だ。つまりあなたは、私と運命共同体になれますか? という厳しい問いかけなのである。そして問いかけであると同時に、私にはその覚悟があるわ、という宣言でもある」。
●「たった今全部すててもいいけれどあたしぼっちの女でも好き?」(渡邉志保)。「あなたは私の何に惹かれたの? 私の持っている外見、声、肉体、服装のセンス、お金、車、教養、性格、家庭環境・・・。私はあなたのためなら、どんなものでも捨てる覚悟がある。でも、何もかも捨てた私そのものを、あなたは愛してくれる?」。
●朝の階のぼるとっさに抱(いだ)かれき桃の罐詰かかえたるまま(川口美根子)。「朝食のメニューなどを考えていたところへ、彼の唐突な愛の表現。『えっ?』ととまどいつつも、身をまかせる一瞬に、恋の喜びがこぼれ落ちそうだ。いま自分が桃の罐詰をかかえているように、彼は自分を大きく包む。その入れ子構造が、おもしろい」。
●暖かき春の河原の石しきて背中あはせに君と語りぬ(馬場あき子)。「大げさな舞台装置など、なにもない。やさしい春の日差しと、河原の石のぬくもりと。そんな何てことない空間が、何ものにもかえがたい空間になる――それが恋愛の素晴らしさであり、原点であることを、あらためて思い出させてくれる一首だ。心のすみずみまで満ち足りた気分が、読む者へひたひたと伝わってくる」。
●妻とゐて妻恋ふるこころをぐらしや雨しぶき降るみなづきの夜(伊藤一彦)。「一緒にいられてこんなに幸せなひとときを過ごしていながら、やっぱり、さらに、このうえ、あらためて、その人のことを恋している自分。これ以上なにを望むというわけではない。こんなに満たされていながら、けれど恋をする心はとまらない。好きなものは、いくら好きになっても足りないのだ。その恋心の貪欲さのようなもの、それを作者は『をぐらし』と感じているのかもしれない・・・」。
●肌の内に白鳥を飼うこの人は押さえられしかしおりおり羽ぶく(佐々木幸綱)。「『白鳥』の比喩によって、幾重にも女性のイメージが広がってゆく。まず、透き通るように白い肌。すらりとした首筋。美しい容姿。そして、生き物としてのぬくもりと意志。身をゆだねたかと思うと、ときおり翼を強く振って、抵抗しようとする。その、ままならない感じ」。
●君がふと冷たくないかと取りてより絡ませやすき指と指なり(角倉羊子)。「指先だけではなくて、彼女の心までが温められるような、そんな瞬間を感じさせる上の句だ。そしてそれ以降、二人は折にふれ、指と指とを絡ませることができるようになった。もちろん『冷たくない?』なんて口実は抜きにして」。
●私をジャムにしたならどのような香りが立つかブラウスを脱ぐ(河野小百合)。「たぶん、セックスの前の一場面をとらえた歌だろう。そういう場面を詠んで、こんなにのびのびとしていて、こんなに楽しそうで、こんなに誇らしげな歌を、私は他に知らない。とことん愛されている、いや、愛し合っているという自信がなくては、こうはなれないなあと思う。エロティックではあるのだけれど、そこに前向きの明るさが漂うところも、一首の魅力だ」。
●目瞑(つむ)りてひたぶるにありきほひつつ憑(たの)みし汝(なれ)はすでに人の妻(宮柊二)。「結句の『すでに人の妻』の字余りが、痛々しい効果をあげている。リズムからそっけなくはみ出した、この散文的な表現。それが、現実というもののどうしようもなさ、その事実のとりかえしのつかなさを、あますところなく伝えている」。
本書を読んで、棺桶に入る直前まで、恋愛至上主義者でありたいと思ってしまった私なのです。