ワトソン、クリック、ウィルキンスに「DNAは二重らせん」という功績を盗み取られたロザリンド・フランクリンという女性・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3772)】
リカソルノウゼン(別名:ピンクノウゼンカズラ。写真1~3)が咲いています。ゴーヤー(写真4~9)が花と実を付けています。
閑話休題、ノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスの無法者3人組に「DNAは二重らせん」という功績を盗み取られたロザリンド・フランクリンの味方を自任する私は、彼らに関する書籍は隈無く渉猟してきたが、今回、手にした『真・二重らせん物語――DNAを追い求めた科学者たち、真実のストーリー』(山本たけし著、花伝社)には、いろいろと教えられました。
●絶望的なタイム・リミットの中で、ワトソンとクリックは、なぜ、あのような大逆転劇を決めることができたのか? ワトソンとクリックの勝因は?
▶留学先にキングス・カレッジ・ロンドンではなく、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所を選んだワトソン。
▶父ライナス・ポーリングの動向をライヴァル研究者であるワトソンとクリックに内通したピーター・ポーリング。
▶軽率にもフランクリンの回析写真をワトソンに見せたウィルキンス。
▶フランクリンの写真からDNAはらせん構造だと直観したワトソン。
▶ワトソンの「落書き」からDNAのらせん構造の詳細を知ったクリック。
▶コンプライアンス意識の薄かったマックス・ベルツ。
▶A型DNAの迷宮にはまり込んでしまったフランクリン。
▶DNAに対する情熱をすっかり失っていたウィルキンス。
▶化学の教科書が間違っていることをワトソンに教えたジェリー・ドナヒュー。
▶分子模型を作らなかったウィルキンスとフランクリン。
「何らのデータも持っていなかったがために、それを渇望していたワトソンとクリックが、(フランクリンの)フォトグラフ51が示すわずかな、だが決定的な情報からすべてを導き出したということだろう」。
●フランクリンは、なぜ、これほど素直に二重らせん構造のワトソンとクリックのモデルを受け容れたのだろうか?
▶1953年4月25日号のネイチャーにワトソン、クリックの歴史的論文が掲載されるより前の同年2月24日に、フランクリンは、A型、B型ともに、DNAが二重鎖のらせん構造であるとの吉論に達していたが、そのことを誰かに伝えることも議論することもなく、実験ノートにひっそりと記しただけだった。
▶フランクリンは生粋の結晶学者であり、特に生物学に興味があったわけでも、ましてや、DNAに執着などなかった。
▶ワトソンとクリックの二重らせん構造を「ワトソンークリックのモデル」と呼んだのはフランクリンだった。しっかりとした根拠があって、自分の考えが間違っていたことを確信したのなら、素直にその事実を受け容れる。彼女は、ワトソン-クリックのモデルを絶賛し、そして、二人のことも認めるようになった。それがフランクリンという科学者の度量なのだ。
▶キングス・カレッジからバークベック・カレッジに移ってからのフランクリンにとって、クリックはよき相談相手となった。
▶フランクリンは、ワトソンとクリックの業績に自分が極めて重要な役割を果たしたことを知らぬまま、そして、ワトソンの著書『二重らせん』で悪し様に書かれることになることも知らないまま、1958年4月16日、卵巣がんのため、37歳でこの世を去った。
ノーベル賞選考委員会は、ワトソン、クリック、ウィルキンスの不正行為を知っていたら、それでもやはりこの三人にノーベル賞を授与しただろうか?
フランクリンの薫陶を受けたアーロン・クルーグが1982年にノーベル化学賞を受賞したこと、一方、ワトソン(2025年7月19日現在、97歳)が晩年、人種差別主義、優生学的思想、女性や性的マイノリティの蔑視等々、数々の問題発言を公然と繰り返したこと――にも言及されています。