榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

自分を見失うことなく生き抜くひと――それが山口百恵だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3780)】

【読書の森 2025年7月29日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3780)

昨日の夕焼け(写真1)。オニユリ(写真2~4)、コオニユリ(写真5、6)が咲いています。オシロイバナ(写真7~11)が香りを漂わせています。ホウキギ(別名:ホウキグサ、コキア。写真12)が青々としています。我が家の庭師(女房)から、キンギョソウ(写真15)が咲いているわよ、との報告あり。

閑話休題、私の一番好きな歌手は山口百恵です。歌詞も曲も歌唱も私の好みです。彼女のCDをたくさん持っています。絶頂期に潔く引退し、その後は、芸能界とはすっぱり関係を断ち、妻、母という道を選択した彼女の凛とした生き方には脱帽あるのみです。その凛とした生き方は、源義経に愛された静を想起させます。

そんな私に、山口百恵というのはそれだけの人物ではないぞと教えてくれたのが、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』(中川右介著、朝日文庫、2012年)です。

●彼女の表現力に、彼女よりもはるかに年長の作詞家、作曲家、脚本家、映画監督たちは惹かれ、その持てる能力を傾注し、その結果、傑作群が生まれた。
●散り際の見事さ、絶頂期での引退だけが「いまも続く人気」の理由ではない。その前段階での、「時代と寝た女」とまで評された「時代の顔」としての活躍があってこその、「散り際の見事さ」だったのだ。
●虚構の世界で虚構の人物を演じながらも、自分を見失うことなく生き抜いたひと――それが山口百恵である。彼女の強靭さに、三十数年が過ぎた現在、改めて驚愕する。
●彼女は中学一年の夏休みに新聞配達のアルバイトをして、自分の机とギターを買っている。
●彼女が初めてテレビ出演した時のゲストは、彼女が憧れていた西城秀樹だった。
●映画と歌の両方で持続的かつ同時並行的に成功したのは、美空ひばりと山口百恵しかいない。
●歌手・山口百恵は、賞をもらっても泣かないことで知られていた。だが、女優としては涙が流せたのだ。
●山口百恵と三浦友和は、1977年10月半ばに結ばれたことになる。
●渡辺プロダクションは扱っているものが芸能人という目立つものだから、誰もが知っている有名企業となり、「帝国」とまで称されていたが、所詮は零細企業である。芸能界において最大の企業体はNHKだった。
●芸は売っても、身も心も売るわけではない。20歳を目前にして、明確にそれを主張したひと――それが、山口百恵だった。
●NHKの番組で歌うときは「真っ赤なクルマ」とすることを、山口百恵は強いられていた。しかし、全国民が注視するなか、山口百恵はしっかりと「真紅(まっか)なポルシェ」と歌ったのである。
●私生児として生まれ、けっして豊かな家庭に育ったわけではない少女は、わずか19歳にして、この国最大の国家の鉄道会社と対等に提携し、全国をネットワークする国家の放送局とも対等にわたりあったのである。鉄道と電波を制圧するのが革命の条件だとすれば、山口百恵は日本史上、ただひとり、その勝利がたとえ一瞬のものだったとはいえ、真に成功した革命家だった。
●20歳を目前にして、山口百恵はここまで客観的に自分の位置を分析しているのだ。
●山口百恵の恋人宣言は、芸能人が置かれている不自然な状況を打破するものとなり、その意味において、人権宣言と言っても過言ではなかった。芸能人に恋愛の自由をもたらした点で、画期的だったのだ。
●『蒼い時』はそういう芸能人本ではない――山口百恵はそう強調している。本当に自分で書いたし、プロダクションが創り上げた「芸能人・山口百恵」として書いた本ではなく、「生活人・山口百恵」として書いたものだ、と。
●記者会見で、山口百恵は歌と映画のそれぞれで一番好きなものとして『横須賀ストーリー』と『伊豆の踊子』を挙げた。
●商業的成功と芸術的成果を両立させていった点で、「総体としての山口百恵」は偉大だった。そして「個人としての山口百恵」は14歳から21歳までの間に、この過酷なビジネスを通して人格的成長もしていったのである。

読み終わって、ますます山口百恵が好きになってしまいました。