トマス・ネーゲルという哲学者は、死をどう考えているのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3916)】
【読書の森 2025年12月12日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3916)
ヤブツバキが咲いています。








閑話休題、『「人生は可笑(おか)しい」をめぐる哲学ノート――ネーゲルとの対話』(藤野寛著、さくら舎)を手にしたのは、著者が私淑するトマス・ネーゲルという哲学者が死をどう考えているのかを知りたかったからです。私はネーゲルという哲学者を本書で初めて知りました。
●死んでいる状態とはどんな状態か、と問えば、答えは端的に「無」だろう。エピクロスも言うように、死の状態にはもはやそれを経験する主体が――主観性が――存在しないのだから、よいも悪いもない。
●生まれる前の状態と死んだ後の状態は無であるという点では同じである。両者とも、取るに足りない事実であり、偶然の産物である。
●外側から客観的に眺めれば、私の誕生は偶然であり、私の人生は無意味であり、私の死は些細なことに見えるが、内側から主観的に見れば、私が生まれなかったとはほとんど想像することすらできず、私の人生は途轍もない重大事で、私の死は大惨事に見える。
ネーゲル先生、死を客観的に見るべきなのか、主観的に見るべきなのか、そして、私たちはどう生きるべきなのか、もう少しはっきりさせてくれないと困りますよ!
