こういう融通無碍な作品を捻り出すことができる川上弘美という作家の頭の構造はどうなっているのでしょうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3935)】
キジバト(写真1)、オオバン(写真2)、オオバンとオナガガモの雄(写真3)、オナガガモの雄(写真4)、マガモの雄と雌(写真5)、コサギ(写真6、7)、ダイサギ(写真8)をカメラに収めました。サザンカ(写真9~11)が咲いています。ネズミモチ(写真12、13)が実を付けています。














閑話休題、『おめでとう』(川上弘美著、新潮文庫)に収められている『運命の恋人』は、文庫本でたった5ページしかないのに、心に深く刻まれ忘れることのできない掌篇小説です。
「恋人が桜の木のうろに住みついてしまった」と始まります。
どういうことかと首を傾げていると、「庭の奥に立っている樹齢百年ほどの桜の木である。深い庭で、うっそうと植物が生えており、池もある。魚や木の実や青ものなど取りほうだいで、食べ物には困らないようだ。水は、焚き火で雨水の汲み置きを蒸留して得るらしい」とあるではありませんか。
さらに、「最初のころは不安にも思ったが、恋人が平然としているし会社を馘首されることもなかったしで、すぐにわたしも慣れ、週に二回は木々をかきわけて桜の木のうろを訪れるようになった」というのです。
この辺りまでは、どうにかこうにか付いていけたのだが、「そうやって五年たち、十年たち、やがてわたしは恋人ではない男と結婚して、子供を三人生んだ。子供たちにも子供ができ、その子供にも子供ができ、つぎつぎに子孫は増えていった。子供が千人を越えたころ、わたしは久しぶりに庭の奥に恋人を訪ねてみることを思いついた」と言われると、頭が古く融通の利かない私には、もうお手上げです。
そして、やはりこのひとが運命のひとだったのかもしれないと思った恋人との間に「やがて子供が三人生まれ、その子供に子供が生まれ、子孫は増えつづけ、桜の木のうろも手狭になったので、くすのきや椎の木のうろに子孫たちを住まわせ、わたしたちは末永く幸せに暮らした」と結ばれているのだから、何をか言わんやです!
こういう融通無碍な作品を捻り出すことができる川上弘美という作家の頭の構造はどうなっているのでしょうか。
